アフガン韓国人拉致事件

 経緯はどうあれ(というか謎だらけなのですが)、殺されずに済んだ人質の全員が解放ということになりました。全員解放の第一報を聞いた後も、最後の最後まで安心はできないのではと思って経過を見守りましたが、どうやら一応の解決を見た形になったようです。
 この事件を最初に聞いた時から、昨夏の
 アフガン大統領、韓国人キリスト教団体に強制出国命令朝鮮日報 2006/8/3
 アフガン平和行事中止…韓国人1200人帰国へ朝鮮日報 2006/8/4
 あたりの経緯が思い起こされて、キリスト教の宣教がらみのケースと思われてしかたがありませんでした。今、韓国でもこのあたりについて教会側に反省を求める声がでているとのことです。


 【社説】アフガン拉致事件で教会が反省すべきこと


 問題が一応の解決を見た今、教会はこうした問題について真摯(しんし)な態度で省察すべきだ。信者一人一人が自身の信仰を深め、またそれを外部に表現することと、自分とは違う信仰を持った人々を尊重し、その権利を侵害しないことを両立させるためにはどうすればよいのかという問題について、教会は自分たちの立場を整理し、国民の前に明らかにすべきだ。

 (朝鮮日報日本語版 8/30)

 解放の条件として「韓国人によるキリスト教の布教は中止する」という一節があったように、宣教という次元は決して無視できるものではなかったのだと改めて思います。ただ、当事者ができるだけこの側面を表に出すまいとしていたらしいのも事実で、日本のメディアではここが強調されることはありませんでしたが…


 アフガン拉致:センムル教会への批判相次ぐ


 センムル教会は、外交部の自制要請を無視して信者らを戦地へ派遣したが、これを家族には知らせていなかった。「布教」を「ボランティア」と言い逃れるのにあくせくするばかりで、無理な布教活動に対する反省の様子があまり見られない、という指摘もある。

 事件発生後にも、同教会は「反省」より「事実の隠ぺい」に懸命だった。メディアには、拉致被害者の命にかかわるとして「布教」ではなく「ボランティア」という言葉を使うよう求めた。また、「礼拝」「教会」「牧師」など宗教的な単語が報道されることを避けるため、先月23日には同教会にあった韓国人拉致被害者家族会事務所を韓民族福祉財団へと移した。その後、財団側からの抗議が相次ぐや、再び同教会へと事務所を移動、教会が入っている建物の名称である「盆唐タウン」を使用するよう依頼した。


 しかしその一方で、パク・ウンジョ牧師(55)は礼拝中に危うい説教を連発した。


 パク牧師は12日の説教で、「わが聖徒たちが拉致されたことは、ひょっとしたら神の啓示かもしれない。アフガニスタンの地にまかれた聖徒らの血は決して無駄ではなく、いつの日か福音の実を結ぶだろう」と述べた。この内容は、あるキリスト教系の電子新聞を通じて報じられた。
 (朝鮮日報日本語版 8/31)

 傍で見てどうあれ、ボランティアもしてそれをきっかけに布教行動もしようという彼らに悪意はなかったものと思われます。ただ、場合によっては「無知」は「悪意」よりも周囲に迷惑をかけるもの。精神論だけで世に働きかけるというのは往々にして悲劇を招くということでは、これも一つの教訓となったのではないでしょうか?


 タリバン、拉致した韓国人全員を解放

[ガズニ(アフガニスタン) 30日 ロイター] アフガニスタンの旧政権勢力タリバンは30日、拉致していた韓国人の残り7人全員を解放した。
 女性4人と男性3人は2組に分けられ、赤十字国際委員会の職員に引き渡された。
 複数のアフガン当局者によると、韓国政府はタリバンとの交渉で身代金の支払いで合意した。ある外交筋によると、当初の要求額は2000万ドルだった。