捨てるは難し(および近況)

 文字の入っている紙は、たとえそれがパンフの類であったとしても捨てるにしのびないと躊躇してしまう時があります。もちろんそこに思い出のよすがなどがあれば往時を思い出させる貴重さというものはわかってもらえると思うのですが、何の思い入れもないものでも、文字情報というもの自体に何か捨てるのをためらわせるところを感じてしまうのです。これは知識・情報を自分に与えてくれるもの、自分に何か役立つものかもしれないという「期待」あるいは「執着」が少し他の方々より強いのかもしれません。
 たとえばみすず書房の『みすず』という書評誌、宣伝の雑誌のようなものがあります。これが1996年の11月号からバックナンバーがずらっとあるわけです。箱に入れて、それはずっしり重いのですが、もう二年以上も手を触れていません。もう捨てようと思ったのですが踏ん切りがつきません。二年も三年も眼を通していないもの、しかもこういうブックレットのようなものにどれだけの価値があるでしょう。捨てなければ…と思って一冊手にとるわけです。ぱっと目次に眼をやれば、


現代のカルト問題1  …辻由美
地震と社会―「阪神大震災」記 8 …外岡秀俊
パリの「暗い部屋」―アジェの写真の中へ1 …大島洋
朝顔やこんな小さな家の…寺暮らし 18  …森まゆみ
異化された西洋―漱石と帝劇『ハムレット』…正木恒夫
近代日本の行幸啓―視覚的支配に関する覚書 …原武史
香港の起源 3    …ティモシー・モー

なんていう記事が目に入ってくるんです。面白そうじゃないですか。
もう捨てるどころか読みに入ってしまうんですよね。昔のもので内容はすっかり頭から抜けてますし(笑)


 というわけで、苦吟しながら引越しの準備をしています。いつまでかかるかわからないのが恐ろしいです。
 先週末は不動産屋さんをめぐって、物件を見て、自分で自転車でまた行って見て(それぐらいの近いところで探しています。どれも自転車で30分以内)様子を調べるとかしていました。
 ほぼ一つの物件に決め、まだ契約は交わしていませんが申し込みは済みました。今のところよりは狭くなりますが、耐震対策はしてある世代の住宅なので中もきれいです。狭い庭では野菜を作ってもよさげですし、芝生にしてもいいなあと思ったり。最寄のバス亭から徒歩6分ですが、これは坂を下ってのもの。わりに急な坂を上っていけば10分ほどになりますか。


 今朝もクリーンセンターに出掛けによって布団を一枚処分してきました。でも「書いたもの」の整理はまだまだかかりそうです。
 独り暮らしはすっきり身軽に…というのが理想なのですが、今回もまた多くの捨て難いものをごしゃっとそのまま運ぶことになるのでしょうか? でも何とか半分以下にして、他の捨てられるものも処分して移りたいなあとは思っています。
 仕事もそれなりにやることがあって、特に月半ばにはあわただしく出張なのですが、少しずつ整理して「捨てるものは捨てる」という難しい作業をこなしていきたいと思っています。ということで更新は少し飛び飛びになるかもしれません。何とか今月中にはほとんど片を付けたいものです…