一つ山越しゃ…

 も一つ山がありました。それでも今日は起きてからなかなか気分は良いです。ネガティブなところばかりでもなく、体調不良の時もそれなりに楽しむ術というのがありまして、対病気態勢を整えることができれば「病人気分満喫」という手もあるのでした。ストーブに薬缶をかけてしゅんしゅんさせ、お茶を普段よりたくさんいただくとか、茶漬けをしみじみいただくとか、しょうが酒・玉子酒といったところを明るいうちからいただくとか、必要になりそうなお薬やのど飴の類、ティッシュや水などを寝床近くに総配置して安心するとか…。
 小さい頃、エレクトーンの椅子に毛布をかけて縁側に置き、妹と一緒にお菓子を持って籠って、無人島にたどり着いた気分などとやっていたようなシチュエーション・プレイの面白さに似ているかもしれません。まあそれも「数日で治る」という気持ちがあってこそなのですが。


 今回は不思議に甘いモノが欲しくなったりもしました。私は左党*1であまり自分で買って甘いものを食べないのですが、なんだかどうにも少し甘みが欲しい。で、時々ニュースをつけて見ると「赤福」ですよ。日付がどうあれ一個食べたい…というような妙な感想しかもてませんでした。
 赤福は数えるぐらいしか食べたことはないのですが、十年ぐらい前にお伊勢参りしたときのおかげ横丁で食べた赤福のかき氷は絶品でした。ただの餡ころ餅がどうしてこれだけ氷にあうんだろうと不思議に思ったのをありありと憶えています。ああ食べたい、などと思っていたら、昨日夕方から少し読み返し始めた森茉莉の『貧乏サヴァラン』でお父さん(鴎外)の好きなたべものを回想するところで

 彼のたべもので変わっていたのは、他所から葬式饅頭を貰うと、琥珀色で、爪の白い清潔な手でそれを四つに割り、その一つを御飯の上にのせ、煎茶をかけて食べるのである。私を始め妹も弟も喜んで真似た。子供にはおいしいものであるが、母だけは見ても不味い、という顔をしていた。

 ここで「おいしそう」と感じてしまいました。普段なら「不味そう」という方に一票入れるのですが…
 久しぶりに読みましたが、森茉莉さんは素敵ですね。どれだけ貧していても心の貴族という感じがあります。

*1:この言い方も死語に近いかも。つまり鉱山では右手に鎚、左手に鑿(のみ)を持って山を掘りますが、その鑿を持つ手すなわちノミ手が酒呑みを表していたわけで、左利きとか左党というのがお酒好きな人のことを指すのです。