プライド

 ある時期、20代から30代の女性のかなりの支持を得た今井美樹の『プライド』

 ♪私は今 南の一つ星を 見上げて誓った
  どんなときも 微笑を絶やさずに 生きていこうと

 この冒頭にグッと来た人も多かったと思うのですが、この歌詞の中で出てくるプライドに関わる一節は

 だけど今は 貴方への愛こそが 私のプライド

 これが二回。これはわかりませんでしたね〜。何で?という感じ。
 その男の価値が高いのか。はたまた誰も理解しないその価値を自分だけ理解しているということなのか。いずれにせよそういうものにプライドを感じたりすると、後で痛い思いをするんじゃないかって他人事ながら心配してみたり…。(実はこの歌、作詞作曲が布袋寅泰なんですけど…)
 これがわかり難いのは、プライドがどう成立するかというところで、もちろんプライド(とか自尊心)とは何かというところも含めて、他者の評価というものが関わらずにはいられないだろうと思っていたからです。「あなたへの愛」ならば、それは他者を一切顧慮しなくても十分に自分独りで支えきることができてしまいます。それは自分の心を支えるものではあっても、もうプライドという言葉で表す何かではないのでは…と思えたんです。
(蛇足ですが、私は「微笑を絶やさずにいよう」なんて一瞬考えて微笑んでいて、「何でにやけてるんだ?」と言われて悲しくなったことがあります。)


 私なりに深読みをすれば、たとえば会社の上司やら飲み屋の説教オヤジやらに小さなプライドが傷つけられ、そういう外部からの評価に左右されるのに耐えられなくなり、自分で自分を支えるのがとても難しくなったとき、その心のよすがとして何か自分だけで完結するものをその「プライド」というところにあてはめることができたならばもう外部に煩わされることはない。そういう気分にピッタリだったということなのかもしれないと思ったりしたのですが、本当のところはよくわかりません。


 さてid:dankogaiさんの404 Blog Not Found「プライドの高さ=井戸の高さ
 結局ここでは「本物のプライド」というものがあるかどうかという問題になってしまっているような感じがしますね。飲み屋でよくある説教オヤジの話で終らないためには、ここに何が必要とされるのでしょうか。
 danさんの方策は「自分の体験談」を出すということ。自分にとっての「ニセモノのプライド」がこれこれの形であって、そしてそれがこういうきっかけで「本物のプライド」に変わったという経験を語ることでしたが、これはその体験談の説得力に大きく関わるところがあるもので、そこに共感できない者にとっては一通り読んだ後でも「本物のプライド」というものが本当にあるのかもまたそれが何なのかも理解されないで終ってしまう話なんでしょうね。そういう説明はされていませんから。これはまさに禅問答的な何かです。


 確かにそういう禅問答で答えの無い問いを出すとか、何を答えても「違う」と言うとか、そういう否定によって指し示す(via negativa)手法があるのは理解します。何かについての認識を小さくまとめて広がりがないことになってしまわないように、先達がどこまでも考えさせるという点では有効なのでしょう。ただそれは人格的関係、信頼感とかそういうものが成り立っている場合にかなり効果的なのであって、(たとえ話者が否定する当の本人のためを思っていたとしても)第三者としていきなり発動するのは難しいと思います。それこそ多くの場合不発に終ってしまいがち、説教オヤジがまたいたと思われてお仕舞ではないでしょうか。
 少なくともあんたのは「本物のプライド」じゃないという話になりますと、単に人格否定の言葉にも聞えて、感情的反発を招いてせっかくの「いい話」もちゃんと聞いてもらえないことになるんじゃないかと…


 ここでdanさんは「本物のプライド」という言葉ではなくて、「大きなプライド」とか「深いプライド」のような程度の言葉を選択すべきではなかったかとちょっと思います。「小さなプライド」を超えた(深めた)ところにある「(相対的に)大きなプライド」という話です。 これならば「プライドとは何か」に話がずれなくていいですし、神学論争みたいな不毛さはある程度避けられるのでは? 


 プライドとか自尊心に関わる話は本当に難しいと思います。それこそ話している当人の「自尊心」とか痛いところに直接響きかねないことだからです。
 私は他者が考えているプライドの話は参考にはしますが、それを正しいとか正しくないとか本物だとかニセモノだとかいう話は(普段から)避ける方です。自分自身が「自分のプライド」というあたりをよくわかっていない所為かもしれません。
 ただ、プライドというものは「他者の評価」を含むもので、それ無しに自分で自分の襟首をつかまえて空中に浮かんでいるものは非常に危ういということ。またそこらに無神経に踏込むと、いきなり逆鱗だったりもするということはよく思いますね。