アメリカの偏見

 かつてウィスコンシン州の小さな町に住んでいた頃―一九六八年のことだった―わが家の長男は太っている故にかオリエンタルであるためか、人目につく存在であったらしい。親しい友人や隣人たちから、私はこの子のことについて、よく注意を受けた。
 「前菜に山のようなサラダを食べさせるのよ。お昼ごはんに温かい料理なんて作ってやる母親の方がまちがっているわよ」
 「いいじゃないの、この人は乳を飲ませる赤ん坊がいて、自分だって食べたいのよ。それよりもあの子に別な楽しみ、スポーツの楽しみを教えるのがいい」
 「とにかく、あまりおいしいものを作っちゃあだめよ」
 友だちの会話は、太った子を細くするために、食生活の改善を勧めるものだった。ある日、私は近所の主婦から、真剣な説得を受けることになった。その人は長身で美しく、東部の生れであると語るその物腰にも、気品が滲み出ているような女性だったが、自らのことはおせっかいであるとへりくだった。わが家の太っちょは”きれいなおばさん”と呼んで敬っていたのである。
 「おたくは教育のあるご両親なのに、あの坊やをあんなに太らせておくのはいったいどうしたことなの?」
 私は、彼がすばらしい食欲をもって生れた上に、食いしん坊の家系からみると、すでに三代目であることを伝えた。
 「子供をあんなに太らせておくのはいけないわ。ことに親が知識人の場合はね。子供に知的な喜びとスポーツ愛好の精神を与える教育をすることを怠った、ということになるわ。飽食の子は物を考えないし、あのままの体格で大きくなっても職業の選択がきかない、つまり一流の企業に採用される可能性がなくなる。もしあなた方さえその気になられたら、一ヶ月ばかり私の家で預って細めにしてあげましょうか。身を養うに正しい食べ物だけを与えて、おいしいと思うものはあまりやらないのよ」
 私はこの美しい隣人に感謝はしたが、アメリカの田舎でおいしいものを食べる喜びを子供から奪ってしまうこともかわいそうだと思い、痩身にしたてることは家族で努力してみるから、と親切な申し出を辞退した。その人に読むことを奨められた『Right People』という本の中には、かつてアメリカの上流階級では、子供をガリガリに痩せさせておくことが常識であったと書いてあった。
 太った子は年頃になると自分のスタイルにコンプレックスを持つようになる。コンプレックスを持つと良い関係の友情が育ちにくいかも知れない。子供は淋しい。淋しさを紛らわすためについ食べる。そうすれば太る、という悪循環を繰り返し、子供の人格形成の上に良い影響を及ぼさないかも知れないと、アメリカ人は考えている。

 本間千枝子アメリカの食卓』文春文庫、からの引用です。筆者は終戦時小学校の3年だったといいますからうちの母と同じくらいの年回りで、研究職の旦那さんと家族とともに7年間アメリカに住んだ経験があり、その時の体験から食を通してアメリカ文化を語るといった体のこの本を書かれたそうです。簡単なレシピ付ですし、解説を辻静雄さんが書いているところからもかなりしっかりした内容だと思います。
 それにしてもアメリカの上流とやらで痩身礼賛の観念が(60年代にすでに)しっかりと根付いていたこと。そしてその根は結構深いもの(昔からのもの)であるということが窺えて興味深い記述です。『Right People』という書名にもぎくりとしますが、なんのことはない「常識と偏見」で書かれた通俗的な読み物であったのでしょう。ただこうした俗流心理学っぽい読み物は今でも、この日本でも溢れかえっていますし、ここに出てくるアメリカの奥さんたちのようにそれを疑ってもみないという人も少なからずでしょうか。
 知識人の子弟はすべからく痩せているべき、といった感じの観念は、逆に言えば「お育ちの良さ」でクラスが違う(分けられる)と根っこのところで考えている彼らのバイアスを表していると思いますし、これが年代を経て「健康志向」といったきれいごとのラベルで塗り重ねられていたとしても、この頃と同様に「太っちょ」に対する偏見と蔑視のようなものとともにクラス観念は残っているのかもしれないと思えます。


 ただそうした偏見を持つ人たちにも案外悪意はないような感じもします。だからこそやっかいなのでしょう。多様な価値観と言い、政治的に正しいものの見方が推奨されるならば、こういう痩身礼賛で「彼らとは違う」といった感じの価値観まで私たちは輸入すべきではないと思いますし、ここらへんは曖昧に受け容れたまま金銭的格差云々の話だけしても何となく空しい感じがしないでもないという感想を持ちました。


 引越しの際に食に関するエッセイ本だけ抜き出して並べています。こういうのはとてもおもしろいですし、特にレシピ付なら自分でも手を出してみたりすることもあって非常に好きです。連休中も一つここから料理をしてみました(「いんちき亀スープ」Mock Turtleです*1)。
 この休みの間は、ほんとに久しぶりに繕い物をしてみたり、やはり無理なものもあったので仕立て直しの店に持っていったり、いろいろ冬支度もして、知り合いの先生の家にお歳暮を持って訪問したり、掃除したり料理したり本を読んだりと一人暮らしを満喫?できました。
 今日からまた仕事です。学生の頃のように冬休みが欲しいな〜と実感しています。

*1:粉をバターでいためてブラウン・ソースを作り、黄金色になったところでニンニク、玉ねぎのみじん切り、刻んだセロリ、パセリ、ハムの角切りを加えてさらに気長に炒りつける。そこに牛のストックを加えて(ここはインスタントコンソメで)ベイリーフナツメグ、タイム、黒胡椒、唐辛子を入れて煮立て、一時間半ほど弱火で煮詰めてから醤油とケチャップを大匙一杯。それに辛口のシェリー(ここでも手を抜いて白ワインでしたが)とレモンの汁半個分を入れてかきまわし、味を整えて30分ほど煮詰めて出来上がり。本物の味を知りませんので出来のほどは不明。結構おいしいと思えましたが