独座観念

 井伊掃部頭直弼と言えば桜田門外の変という事件でしか存じ上げなかったのですが、彦根博物館だよりなどの紹介を見れば一流の茶人と申しますか「近代茶道のさきがけ」として見られることもある方だそうで、例の「一期一会」という言葉・考え方の先駆であったようです。

独座観念


 主客とも余情残心を催し、退出の挨拶が終って、客も露地を出るときに、声高に話さず、静かにあとを見返りながら出て行くと、亭主はいうまでもなく、客が見えなくなるまで見送るものである。そのあと、中潜り、猿戸、その外戸障子など、早々と閉めてしまうなどというのは、不興この上ない。一日の饗応も無になってしまうから、けっして客の帰路は見えなくとも、取り片づけてはいけない。いかにも心静かに茶席に立ちもどり、躙上りより這い入り、炉前に独座して、今しばらく話されてゆかれたらよいのに、今頃はどこまで参られただろうかと、今日の一期一会が済んで、再びかえることのないことを観念し、あるいは独服をすること、これこそ一会の極意である。この時寂莫として、打語らうものとしては、釜一口のみで、外になにもない。これこそ誠に自得することがなければ至りがたい境界である。


井伊直弼『茶湯一会集』より)

 なんとも奥ゆかしい心映えだと感じます。これは形としての茶がなくとも私たちが常日頃心に留めておきたい有り様ではないかと思いました。
 全く茶道とは関係のなさそうな本を読んでいて上記一節がありましたので、これはと思って書きとめておきます。『茶湯一会集』についてもできれば入手して読んでみたいものです。