奇遇
もっと暖かくなってから本格復帰といきたいと思っていますが、久しぶりに少し書きたくなったので…。
昨年暮れに相部屋の8つぐらい年下の同僚と話していたときのことなんですがたまたま別の話から出身地の話になって、それで聞いて見ると出は大津だと。大津なら4年から5年の間中学生相手の塾講師をして通ったよ…とかいう話をして、大津の何処かと聞くとまさに私が行っていた学習塾のあたり。石山から瀬田川を下ったところのN中の出身者だということでその奇遇にびっくりしました。
あちらは私の所属した塾の名前は覚えていなかったのですが、年回りからしてちょうどこちらが学部生の頃に中学生。何人か憶えている限りの生徒の名前を挙げてみるとどうも心当たりがありそうな感じです。そっかー、世が世なら(?)あの頃教えていたかもしれなかったわけかー、と少々感慨もありました。
あそこらへんは大津市の中でも発展は遅れていたところで、ちょうど十数年前は開けていく過程にあった頃と記憶しています。あまり小、中学生相手の学習塾も多くなく、うちのところが教室を3つほど開いてそれなりに人が集まっていた(とはいえ本部だったところ以外は「間借り」で一部屋だけのこぢんまりしたもの)のでしたが。
今私が憶えている当時の子供たちでは、出来が良くなかった(失礼)子の名前が実はほとんどです。進学がどうこうというよりも補習に近い内容メインの塾でしたし、入塾の選別などもちろんなく、確実に一学年に一人や二人は飲み込みの悪い(その後だったら学習障害が疑われているような)子が普通に入ってきていました。
出来が良いとされるような子は半ば勝手に指示しただけのことをしますし、きちんと教材さえ準備すればこの仕事は楽なものだと当時の私には思えていました。だからこそどちらかというといっぺん聞いただけではわからないという感じの子に時間もかけ工夫もして、それでおあしをいただいているようにも感じていたのです。で結局、そういう関わりの厚かった子の名前ほどしっかり憶えているということなのでしょう。
そうした経験もあってか、杉並区立和田中の夜間授業に関する報道には関心もありましたしいろいろ考えるところがあります。