education

 tonocchiさん@「じゃばてな」の「教育とeducationの違いだと思う」より

何言ってんだ教育は英語でeducationだろう、というかもしれませんが、辞書を教育でlookupするとeducationが出てくるということであって、教育=educationではない、というのが私の実感。


こちらに詳しく書かれているのだけど、抜粋するのはここ

e-(外に)+duc(導く)+-ation(名詞語尾)です。educate は頭の中に備わっている人間としての能力を
外に導くことです。教育者は、学生のやる気を導き出して educate しないといけません。詰め込みは、
education のもとのイメージとは全然違います。

日本で行われている教育というのは、「漢字を何文字覚えさせる」だとか、「xx年にあった出来事を覚えさせる」だとか、「円周を求める公式を覚えさせる」というように、頭の中にしまいこんでいくのが主になっている。


この説明によると、educationは、中にあるものを導き出すことを目的にしている。

 内容云々ではなくて、ここで引用されている語源説明について…


 このeducationの語源説明は、由来した語をラテン語のeducareに求める、わりによくみられるものです(たとえば小川芳男編『語源英和辞典』有精堂、など)。educareの「e」がout(外へ)、「ducare」がdraw, lead(引き出す、導く)なのだとそこでは説明されています。
 教育学関係書の多くがこの説を踏まえて「education」を「外からの強制や詰め込みでなく、子供の内なる能力を引き出すことだ」としてきたのも事実です。


 しかしこれには最近異論も提示されています。ラテン語においてeducereという語が「植物や動物を育てる、大きくする」という意味をもとから持ち、それが子供を養い育てる意味のeducareと同義に考えられるようになったらしい…という説がそれです。
 たとえば森昭『人間形成論』黎明書房、では

 教育は子供の能力を引き出すことであるという思想は明らかに近代のもので、とくに、十七、八世紀に成立した思想である。したがって右のような解釈は、近代に生まれた観念を近代よりはるか以前の語源に読み込んだものと見るべきであろう(p.36)

 というように言われています(※文中の「右のような解釈」とは、educationにその語源から「子供の内なる能力を引き出す」という意味を見る解釈です)。


 これを以ってtonocchiさんの解釈を誤りだとするものではありませんが、語源から何事かを語るというのは結婚式や入学式ぐらいにとどめておいた方がよいかもしれません。語源俗解を避けるのはとても難しいです。