ケータイの車内利用

 ケータイの車内利用について考える(Wired Vision

 同様に疑問を持つ日本特有の習慣に、「ケータイの車内利用」がある。日本では、鉄道車両における車内ルールとして、「優先席付近では電源OFF、その他ではマナーモードで通話はNG」ということで全国統一されるようになった。確か2003年秋に、各鉄道会社でまちまちだった車内ルールを、当時の京王電鉄が採用していた方式に統一したと記憶している。


 こういうルールがあるので、電車車内で通話をしている人を見かけると目くじらを立てて怒っている人が居たりする。乗車中の人から電話をかけるような使い方は感心しないが、かかってきた電話にやむを得ず出るのは仕方ないのではないかと思うこともある。その1本の電話が、その人にとってどれほど重要な用件なのかは、本人でなければわからないだろう。
(中略)
 世界のケータイユーザーは「かかってくる電話ほど重要なものはない」と考えている。日本が国際社会と付き合っていくためには「電車に乗っているのであとでおかけ直しください」はいつまでも通用しなくなると思うのだが、読者の皆様はいかがお考えだろう?

 無理…


 これは良し悪しというより感覚的なもので、それがOKになってしまった図はぞっとしてしまいます。
 ケータイを車両内でかけている姿は基本的に「傍若無人」です。こちらには見えない通話先とプライベートに喋るのを聞かされるのは、通勤電車の車両内で食事をするとか化粧をするとか着替えをするのを見せ付けられているようなものです。傍らで無視され、無視し合ってそれが当たり前になってしまうというのは悪夢かもしれません。
 ときどき電車内でケータイがかかってきてしまった人を見ますが、扉の近くに(行けたら)行って口元を隠すとか、「今電車だから」と小声で切ろうとしてくれる人にはそれほど嫌悪感は感じません。これは「周囲の人」を意識しているよというポーズがあるからだと思います。ですが、基本オーライになってしまえば「権利」だとか思う人も増えるでしょうし、どれほど多くの傍若無人なさまを見せ付けられるか…。


 あと、筆者は「諸外国」「世界」と言いつつ具体的には「中国、香港、韓国、シンガポール」しか頭にないようなのですが、それらの国はたとえば電車や公共の場での他者への配慮が薄くしか求められないお国柄でしょう。電車やバスが停車して、中の人たちが降りる前に我勝ちに乗り込んでいく北京の映像なんかは何度もテレビで映されていたはず。横の者なんて気にしない、自分の意志を通せば勝ちというようなそんな社会に「馴れ育って」しまえばそれは気にならないとは思いますが、今のこの社会をそれらの国々と同じような雰囲気にしたいとはちっとも思いませんね。


 心臓ペースメーカー云々という大義名分で嵩にかかってケータイを批難するというのも確かに好きではないしおかしなことだと思いますが、それはちょうど「大事な電話がかかってきているかもしれないから」云々とケータイ通話を正当化しようという人とどっこいどっこいに見えます。
 世界だの国際社会だのを出してみたって、結局そこには「かかってきたんだから(喋っても)私は悪くない」と言った某女優と同じようなメンタリティーがあるように見えてしまいます。