なぜ「ゆとり教育」がなされたのかについて

 今日行く審議会@はてなデマと誤解で満たされた「ゆとり教育」からの脱却」より

 新学習指導要領が「ゆとり教育」からの脱却だとか転換だというマスコミの報道。それはデマと誤解に満ちている。


 授業時数の増加にしても,教える内容の増加にしても,それが学力向上につながると期待され,そう「確信」している。けれども,それはいったい何処でどのようにして実証されたのか。その期待や確信の根拠は何か。


 もし,これからそれは実証されるのだというなら,それは「ゆとり教育」と変わらない。「ゆとり教育」もそうやって始まり,検証もないまま脱却だ,転換だと言われているのだから。

 ほぼ同意なんですけれども、「ゆとり教育」がどうして始まったかについてはちょっと面白い状況(観察)を小耳に挟んでおります。書かれたのは文部科学省文化庁の課長を経て現在政策研究大学で教えている岡本薫氏です。

 西欧・北米の多くの国では、一九六〇年代から一九七〇年代にかけてそれまでの「詰め込み教育」への批判と反省が高まり、その反動として「チャイルド・センタード・アプローチ」という考え方が流行した。これは、「子どもたちが学びたいことを、学びたいときに、学びたいように学ばせるべきであり、教師は子どもたちの『自発的な学びのサポーター』たるべきであって、『教え込む』ということ自体がよくない」といった考え方だ。
 この考え方はすばらしく、もちろん間違ってはいないが、実際には、この「理想」を実現するために必要な条件整備(生徒・教員の比率の改善、全教員の能力の向上、動機付けの手法の開発など)が追いつかなかったため、結局は非現実的な空論となってしまった。それどころかこの発想は、多くの国で、むしろマイナスの効果を学校教育にもたらした。
 (岡本薫『日本を滅ぼす教育論議講談社現代新書1826。以下同書よりの引用)

 つまり「ゆとり教育」なるものの日本での流行・推進は、こうした風潮の(教育関係の学者・専門家の人たちによる)「輸入」だったのではないかと、しかも10年から20年も遅れた流行の「後追い」だったのではないかというわけです。

 …この考え方のもとで必要な学力を確保するためには、子どもたちに「学ぶ意欲」を持たせるための「動機付け」について、教師たちはそれまでの百倍以上は努力しなければならないことになる。しかし実際には、この考え方は多くの国で、「子どもたちが『学びたくない』と言っているのだから、無理に教えるべきではない」という教師の「逃げの口実」として使われ、大規模な学力低下をもたらした。
 「詰め込み教育の廃止」は、子どもたちが「学ぶ意欲」を持った後に初めて可能になるのであって、「自らの意欲で学ぶべきだ」という理念だけで「詰め込み」を止めてしまえば、まだ十分な学習意欲を持つに至っていない多くの子どもたちの間で、当然学力低下が生じる。

 日本にはなぜか「すでに失敗していた」この理想主義を広めた研究者や専門家の方々が少なからずいらっしゃったようで、

 …「知識偏重・暗記中心」から「思考力・判断力重視」へ―という、十分な現状分析を伴わないイメージ的な動きがこれに重なってしまったために、教育行政当局部内の人々まで、「教えるということ自体が悪」などという考え方の蔓延を十分に止められなかった(むしろ推奨してしまった?)。

 などという分析がされています。あんたもその時その中(教育行政)にいた当事者やん!という突っ込みはさておいて、非常に興味深い話です。ここまでが第一章で語られた内容。第三章では次のように書かれています。

 社会全体としての学力低下は、いくつかの国で「ファンクショナル・イリテラシー」(機能的非識字)という形で表面化したが、最初にこれに気づいたのは軍隊である。新兵の中に「武器の使用説明書が、読めても理解できない」という読解力不足の者が増え、戦闘どころか安全管理ができなくなってきたのだ。いくつかの国では、このことに関する広範な調査が行なわれたが、たとえばアメリカでは、一九八〇年ごろに、市販の薬に添付されている「使用上の注意」を読めても理解できない大人が二割を超えるという結果が出て、教育関係者を震撼させた。
 そうした状況から立ち直るため、西欧・北米では、「すべての子どもたちに必要なミニマム」を特定すべく、「バック・トゥー・ザ・ベイシックス」という運動が展開された。この言葉は、日本では「基礎・基本に帰ろう」と訳されて誤解を生んでいる。学習指導要領があり、かつ「教えすぎ」とか「詰め込み教育」と言われた日本では「基礎・基本に帰ろう」とは、「全部詳細に教えようとせず、基礎・基本に重点を置くべきだ」という意味で使われていた。これに対して、当時は学習指導要領のような教育内容の国家基準を持たなかった西欧・北米では、この概念は「すべての子どもたちが身に付けるべきベイシックスというべきものを、改めてゼロから拾い集めていこう」という意味だったのである。
 (強調は引用者)

 これがコア・カリキュラムスへと続くもので、著者はどこかそういうものは日本ではすでに〈学習指導要領〉として存在した、と言いたげです。

 一方で「不必要なこと」まで教え込む「詰め込み主義」に戻らないために、また他方で、「必要なこと」についての「学力低下」を克服するために、「何が『すべての子どもたち』に共通して必要なのか?」を特定するための膨大な努力が行なわれたのである。

 こうした努力が実を結び、現在は一歩先に罠にはまってしまった西欧・北米は立ち直ることができているというのがこのあたりの結論です。しかしながら著者は、これと同様の方法が日本でうまくいくかどうかについて懐疑的です。

 …「すべての子どもたちに必要なこと」と「それ以外のこと」の区別が、日本で欠落している原因のひとつは、本の学校教育が非常に平等主義的に発展してきたことだろう。既に述べたように、現在の途上国の多くが「専門的な人材の育成」を目指して中等教育から手をつけがちであるのに対して、明治の日本は小学校を最も重視し、「良いことは、すべての子どもに」という発想で学校教育制度を整備してきた。ところが後に、社会全体の発展や複雑化に伴って「良いこと」が増えすぎ、従来の発想は限界に直面したのだが、これが認識されずに「詰め込み」に陥っていったのである。
 (強調は引用者)

 一つの仮説としてはありそうにも思える図式です。著者が文部行政の中の人であったという経歴を割り引いても、親や教師や本人たちが「平等」を望み、いろいろ内容が増えてきたにもかかわらず「平等」を貫こうとした結果が予想外の「詰め込み」になってしまった…というのは検討するに値する議論かと思います。
 そして著者もまた冒頭のkaikai00さんの言葉と似た結論に達しているのです(というよりここを思い出させられたので、ちょっとこれを書いてみようかと思ったのでした)。

 このことを理解すると、「詰め込み教育」から「ゆとり教育へ」というかつての動きと、「ゆとり教育」から「学力再重視へ」というその後の動きが、実は同じ欠陥を抱えていることがわかる。
(中略)
 つまり、「詰め込み教育」から「ゆとり教育」へというかつての動きにおいても、また、その後の「ゆとり教育」から「学力再重視」へという新しい動きにおいても、「すべての子どもたちに必要なこと」と「それ以外のこと」の区別・検証は十分に行なわれておらず、精緻な検証・議論を欠いた「同じ間違い」が繰り返されていると思えるのである。
 (強調は引用者)

 さてどうでしょうね。もしこの著者の岡本氏の考えが正鵠をいていたとしたら、私はちょっと上手な「ゆとり教育」からの脱却など無理なような気がします。不可能とは言わないまでも相当に難しいかと。
 それは「平等」を無条件に良しとする父兄・関係者の考え方の転換を必要としますし、「すべての子どもたちに必要なこと」以外を一部の子らに教えた時に「教育格差だ」とか言ってくるメディアや世間を納得させるのにかなりな労力を費やさなければならなくなるのが目に見えているように思われるからです…。