父の箸

 すでに私の年代あたり以降(私は'60年代生まれ)、フォークやナイフが使えるのは取り立てて珍しくもないことでしょう。私も特別に習うわけでもなくいつの間にか小器用にそれはこなしていました。昭和ひと桁のうちの父は全然それは駄目なのです。
 でも長じて父などと外食する機会があった時に「偉いな」と思ったのは、どこでどんな料理を食べるときでも(もちろん国内の話ですが)箸がなければ箸をくださいとボーイさんなりにためらわずに頼んでいるんです。妹の結婚式でも(確かフォーシーズンスで洋食という形だったはず)照れも衒いもなく箸を頼んでいました。いろいろ父には思うところもありますが、これだけは素直に何だか偉いと、堂々としたものだと思えます。
 ちゃんと箸も使えずに、フォークとナイフなどで食事ができるとしても、それはむしろそれが当たり前の人たちから見れば尊敬されることでも何でもありません。同じように流暢に英語が話せたって、話す内容が何もなければ、先方にとっては(子どもでも喋れるんですから)大した意味はないでしょう。感心してくれるとすれば社交辞令ぐらいかと。
 もちろん英語ネイティブじゃない者どうしの意思疎通とか、その他英語が(ある程度仕方がなくですが)便利に使えることがあるのは確かです。しかしそれは手段ではあっても目的ではありません。それが目的になってしまっているようならば、「マスターズカントリー」に憧れている植民地気質のようなものを疑われてしまうでしょう。