クニを愛するとは

 必ずしも国家ということだけではなく、故郷という意味での「くにもと」のクニや大地・六合という広い意味でクニを言ってもよいと思いますが、それはクニを「自分を作ってきたもの」と認識することでしょう。そしてそれが今の自分を形成する(必須の)部分の一つであるというように認識すること、それがクニを愛するということだと思います。
 つまりそれが「自分の一部であり」、さらにはある意味「自分である」と認識することがポイントなのです。


 実際にそうであるかどうか(事実)というよりそれは「認識」のあり方でしょうし、また自分のことが嫌いな人にとってはクニが嫌いということにもなるかもしれません。しかし嫌いでもそこに注目せざるを得ない、気になるという意味において、クニに拘る者は(大好きを広言する人と同様)悪し様に言う人も「クニを愛する」という状態なのではないかと感じたりもします。


 この意味からするとクニを愛する教育をするというのは、教育指導要領をどうこうするとかいうことではまったくなく、まともに、そして普通に当たり前の知識を教えていくことでいいんじゃないかなと思えます。それは「自分」は独りで生きているのではないこと、そしていろいろなものから作られまた人に影響を与えつつ生きているのだということを素直に知ることから始まるのではないでしょうか。