桜は散るのを急がない

 花曇から花冷え、冷たい雨の後は今朝から春の嵐を思わせるような強い風が吹いています。それでも私の住む町は都内より数日桜の開花が遅いので、ほとんど花は散っていません。
 桜が散るのは開花してから四日ほど後、花弁が役目を終え元木から離れ易くなってから後のことです。タイミングがよければ一週間かそれ以上も散らないのです。
 また、ソメイヨシノが植えられている桜のほとんどであれば一斉に散るという感じを受け易いのですが、野性種のヤマザクラなどは開花時期などに個体変異が多く、あるときを境にパッと散ってもう見られなくなるという印象は与えないものでした。

 しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花

 とは本居宣長が自らの肖像画へ付けた有名な賛で、文字通り「自画自賛」なのですが、ここに出てくる山桜をソメイヨシノのイメージで見るのはちょっとおかしいことでもあります。
 この賛が書かれたのは1790年頃のことです。ソメイヨシノの起源には諸説ありますがどの話においてもポピュラーになったのは1800年代になってから(大抵は19世紀半ば以降という話)とされ、特に明治39(1906)年の日露戦争戦勝記念や昭和15(1940)年の紀元2600年記念、そして戦後の復興の時などに全国に植えられてどこでも見られる花になったというのがよく言われる筋です。


 少なくとも宣長は「散るのが潔い」からそれが大和心だとは一言も言っておりません。そういう解釈が戦前から広まっていたと聞きますが、それは勝手読みというものでしょう。
 「朝日に匂ふ」とは朝陽の光を浴びて輝くように照り映えるという意味で、古語の「にほふ」が視覚的な美しさをも言うものであったことは古典の時間に聞いたことがある方も多いと思います。ヤマザクラは決して華やかな美しさで語られるものではないのですが、その静かな佇まいの美しさに感じるものがあっても何の不思議もありませんよね。


 私は実はこの時期、桜よりもユキヤナギが好きです。山桜よりもっと地味なのですが、一斉に咲いて風に揺れるその姿には清楚な華やぎという印象を持ちます。普段は地味でおとなしく、単に垣根などになっている緑の草木が、ある一瞬だけとても真白に花を咲かせ枝を広げて華麗になる…。この花が私の愛犬との散歩コースにたくさんあったということもあり、何より好きな花ですね。


 ソメイヨシノにしても、桜は決して散り急ぐわけではありません。うちのあたりではこの風の中も咲き誇っています。擬人化して言えば、「役目」があるうちはそれを果たす律儀さがあると思います。
 宣長の歌を思い出しつつ、近々そばの山にでも行ってヤマザクラを探してみましょうか…。