愚行権

 公共の福祉に反しない限り、個人には傍から見て愚かしいと思えることでも為す権利がある…というのが愚行権というものです。まだ一般の認知や承認を受けているとは言い難い言葉だと思いますが相当に個人主義的でリベラルなもので、私は理解できるけど「権利」を主張するのはどうだろうという感じで捉えていました。
 結局のところそれは「自分がいいと思ってしていることに文句をつけるな」というような拒絶の言葉になりがちだと思えたからでもあります。


 また、この権利を主張する本人が「愚行」と言ってしまうのも(※ある程度のアイロニーは当然あるでしょうが)、結局のところ「愚かしい」とわかっているならやらなきゃいいんじゃないかと言われてしまう種でもありまして、他の人の理屈にあわないからと言って「愚行」と卑下するより自分の判断にもっと自信を持つべきではないかとも考えたりしていました。


 でもふと思ったのですが、この言葉は「愚行権だから認めろ」と何かをしている本人が声高に言う言葉というよりは、「愚行権というものもあるし許容しよう」と周囲が寛容になるために用いられる筋の言葉であるべきなのではないでしょうか。


 この愚行権話で常にひっかかってくるのは「公共の福祉に反しない限り」すなわち「他人に迷惑を与えない限り」という留保に関してです。今日の社会はあまりに共通の利益という範囲の認識が拡大してきて、容易には愚行権など認められないというような風潮かと思えます。だからこそ、ちょっと息をつける空間を拡げるという意味で、この愚行権についての考え方も検討されていいんじゃないかという気がしてきているのです。


 この4月から俗に「メタボ健診」と呼ばれるようなものが始まる*1とは先日のニュースで知りました。メタボな人が増えれば医療費がかさむ。それは保険料を負担しているステークホルダー全員に関わる問題だ、というわけらしいです。
 この類の縛りは実は気付かぬうちに非常に増えていまして、たとえば自動車運転時のシートベルト義務化やバイクのヘルメット義務化、こうしたものも結局保険料の問題が関わるから「自分の勝手ではない」という理由で法制化されていったように憶えています。


 またこの流れがエスカレートしていけば、どうも隣が電気をつけっぱなしにしている、これは地球環境に悪いことをしているのだからやめさせようと通報する…というようなことにさえ(決して笑い話ではなく)つながるようなことがあるかもしれません。
 極論を笑う顔が少し引きつるかもしれないといったあたりまで、温暖化ガスの発生は人類皆の共通の問題であり座視されてはいけないという具合にメディア等での「啓蒙活動」が進んできているように見えたりします。


 行動の主体が「愚行権」を振りかざすのはそれこそ妙なものに見えますが、周囲が、自分たちの理屈に誰彼を従わせるということにほんの少しでも危うさを感じ、自分の考えが絶対とは言い切れないかもしれないと思うというのは、今やかなり意味のある行為になっているんじゃないかと。


 理性の限界といったところに思いを致す。それはむしろより理性的な行為なのではないかということです。

*1:メタボリックシンドローム内臓脂肪症候群)予防を目的にした特定検診・保健指導が医療保険者に義務化される