中国によるオリンピックボイコット

 某所で以下のコピペを見かけました。

10 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/04/08(火) 00:35:48 ID:8RTL07xP0
【中国の五輪ボイコットの歴史】

1949年 中華人民共和国 建国
1952年 ヘルシンキ五輪 参加
1956年 メルボルン五輪 選手団が現地に到着後にボイコット(理由は台湾問題)
1960年 ローマ五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1964年 東京五輪 ボイコット(理由は台湾問題)■■開会式当日に合わせて核実験強行■■
1968年 メキシコ五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1972年 ミュンヘン五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1976年 モントリオール五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
1980年 モスクワ五輪 ボイコット(理由はアフガン問題)
1984年 ロサンゼルス五輪 参加
1988年 ソウル五輪 参加
1992年 バルセロナ五輪 参加
1996年 アトランタ五輪 参加
2000年 シドニー五輪 参加
2004年 アテネ五輪 参加

2008年 北京五輪 「オリンピックと政治を結び付けるな」← (゚Д゚)ハァ?

 本当かなとびっくりして、ちょっと調べてみました。
 取り敢えずまず日本語版Wikipediaで確認。中国のボイコットが直接記述されていたものは、メルボルン大会・東京大会・モスクワ大会の三つだけでした。(以下に政治的動きを示す記述を抜粋。中国関係の記述に下線を施しました)

Games of the XVI Olympiad、MELBOURNE 1956
1956年11月22日から12月8日まで、オーストラリアのメルボルンで行われた夏季オリンピック

 3つの国際情勢によりボイコットする国々が相次いだ。ひとつは、イギリスとフランスが関与したスエズ動乱に抗議しエジプト、レバノンイラクが不参加。2つ目は、ソ連によるハンガリー侵攻に抗議しスペイン、オランダ、スイスが不参加。特に水球ハンガリーソビエト連邦戦は乱闘騒ぎにまで発展(メルボルンの流血戦)。大会終了後フェレンツ・プスカシュら45人のハンガリー選手が西側諸国に亡命した。3つ目は中華民国の参加に抗議し、中国がボイコット


Games of the XVII Olympiad Rome 1960
1960年にイタリアのローマで開催された第17回夏季オリンピック

 南アフリカ共和国のオリンピック参加は、このローマ大会を最後に途絶える事となった。同国のアパルトヘイト政策に対する国際的批判がその原因で、同国の復帰はアパルトヘイト政策が中止され、黒人中心の新政権が発足した後のバルセロナオリンピックまで32年を要した。


Games of the XVIII Olympiad Tokyo 1964
1964年に日本の東京で開かれた第18回夏季オリンピック

 北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)とインドネシアは、直前まで参加予定で選手団も日本に来ていたが、両国とも開会式の前日(10月9日)に不参加届を組織委に提出して参加を取りやめた。
 本大会に中国(中華人民共和国)は当初から参加の意思を表明しておらず、また会期中の10月16日に、狙いすましたかのように同国初の核実験を行った


Games of the XIX Olympiad Mexico 1968
1968年10月12日から10月27日まで、メキシコのメキシコシティで行われた夏季オリンピック

 東ドイツと西ドイツが初めて統一チームを組まずに参加。同じく分断国家である北朝鮮は名称問題が解決せずに不参加となった。
 開催に先立ち1968年2月2日にIOC総会において、当時アパルトヘイト政策をおこなっていた南アフリカの参加を認める決議が行われた。これに抗議してアフリカ諸国26カ国が出場ボイコットを発表。これにソビエト連邦、共産圏諸国も同調し、合計で55カ国がボイコットを表明した。これを受けて同年4月21日に決議を変更し南アフリカの参加を認めないこととし、ボイコットは回避された。


Games of the XX Olympiad、MUNICH 1972
1972年8月26日から9月11日まで、西ドイツ(現・ドイツ)のミュンヘンで行われた夏季オリンピック

 会期中の9月5日、パレスチナゲリラが選手村のイスラエル選手宿舎を襲撃。イスラエル選手団のレスリングコーチとウエイトリフティングの選手を殺害した後、9人を人質にした。救出は失敗し、銃撃戦の末、人質9人全員とゲリラ5人、警官1人が死亡する大惨事となった。


Games of the XXI Olympiad、MONTREAL 1976
カナダのモントリオールで1976年7月17日から8月1日まで行われた夏季オリンピック

 ニュージーランドラグビーチームが人種差別政策(アパルトヘイト)を続けていた南アフリカ共和国へ遠征したことを巡り、IOCニュージーランドの参加を禁止しなかったことを受けて、タンザニアが主導してアフリカの22ヵ国がオリンピックをボイコットした。また幾つかの国は、選手を派遣したものの途中で引き上げさせた。


Games of the XXII Olympiad Moscow 1980
ソビエト連邦(現・ロシア)の首都モスクワで1980年7月19日から年8月3日まで行われた夏季オリンピック

 この大会は、冷戦の影響を強く受け、西側諸国の集団ボイコットという事態に至った。
日本以外では西ドイツや韓国、それに1979年10月の国際オリンピック委員会IOC)理事会(名古屋開催)でIOC加盟が承認されていた中国を含む50カ国近くがボイコットを決めた。 一方で、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどは参加した。ただし、例えばイギリスではボイコットを指示した政府の後援を得られず、オリンピック委員会が独力で選手を派遣した。そのため、優勝時には国旗の掲揚と国歌の演奏が行われず、五輪旗と五輪賛歌が使用された。また開会式では、フランス、イタリア、オランダなど7カ国は競技には参加したものの入場行進に参加せず、イギリス、ポルトガルなど3カ国は旗手1人だけの入場行進となった。
 この他、モントリオールオリンピックでは南アフリカ共和国アパルトヘイト政策に絡んで大量のボイコット国を出したアフリカ諸国は多くがオリンピックに復帰した。

 ローマ大会、メキシコ大会、ミュンヘン大会、モントリオール大会についてはボイコット情報は確認できません。で、今度は英語版のWikipediaを覗いてみました。すると「Republic of China at the 1972 Summer Olympics」という項目があり、

 The Republic of China competed at the 1972 Summer Olympics in Munich for the last time as the "Republic of China". The ROC would not return to the Olympics until 1984 and under the name "Chinese Taipei" due to objections by the People's Republic of China over the political status of Taiwan. The PRC, amid the height of the Cultural Revolution, boycotted the Olympics due to the Taiwanese participation under the name "Republic of China".

 というような記述が。そして他の大会のParticipating nationsなどを見てみると、
 1956 メルボルン大会
 1960 ローマ大会
 1964 東京大会
 1968 メキシコ大会
 1972 ミュンヘン大会
 では、Republic of China(中華民国)がIOCの正規メンバー(ROC)として参加があり(※一部の表記はTaiwanになっていましたが)同時にChinaの参加がないことは確認できました。
 また1976年のモントリオール大会にはRepublic of ChinaもChinaもどちらも参加しておらず、1984年のロサンゼルス大会からはChinaとChinese Taipeiの参加となっています。(ここから中華民国の「国旗」が使えなくなっているようです)
(※追記 引用英文中の「PRC」は中華人民共和国 (People's Republic of China) を指し、「the Cultural Revolution」は文化大革命のことです。為念)


 英語版のWikipediaによる各オリンピックゲームの項目ではBoycotting countriesとして国名や理由などがはっきり書いてあったりするものもたまにあるのですが、Chinaが何故大会に参加しなかったかなどについてはここからはわかりません。また他所をあたればいいのでしょうが、時間もなかったのでざっとWikipediaを覗くぐらいにしておきます。
 何より、IOCの公式サイトで「ボイコットした国々」に関する記述がまとめられてなさそうなので、どうにも歯がゆい限りです。書きたくないんでしょうけど。
 わかった限りでは、上記コピペを否定する資料は今のところありません。
(※もう一つ追記 上記文中で「開会式当日に合わせて核実験強行」というのは誤りだとは言えます。正しくは「東京オリンピック開催中に(それにあわせるかのように)核実験強行」とでもなりましょうか。もちろんあわせたかそうでないかは推測の域を出るものではありません。また、大阪万博期間中に中国がミサイル実験もしたのも確かですが、これについてもあてつけであったかどうかは定かではありません)
 ただ、オリンピックというものが非常に政治的なデモンストレーションの場であったということだけはよく感じられたように思われます。