モテないことをネタにする

 自分がどう振られたか、どうモテなかったかということを「ネタ」にして笑うという雰囲気に初めて触れたのは関西に住み始めてからのことでした。20年も前のことです。びっくりしました。
 男子も女子も、もちろん語らない人もいることはいますが、結構な割合で自分を茶化して笑い飛ばせる人が多くて、それまで東北や関東に暮らしていた私には新鮮な驚きといったところでした。
 単に私の周囲にそういう人が少なかったのかも、という留保はあっても良いのですが、いまだに比率としてはそういう人にナチュラルな西の人が多いという印象はあります。


 そうやって笑っていても「貴重な思春期の孤独感」は無くなってはいなかったと思いますし、そうして晒していても心の深いところ「誰にも相談できずに、ずっと心に隠しもっていなきゃいけないような類のこと」はむしろ隠せるんだということにも気付かせられました。「攻勢防御」(笑)といったところでしょうか。


 結構染まりました。そしてその分、自意識の頑なさから解放されて楽になったところはあったと感じます。
 モテないことをネタにするということ自体は、案外「節分の太巻き」みたいに、ここ10年20年で西の方から拡がった文化なのではないかということを考えています。で、もしかしたらそれがネットに入ってより多くの人の間に揉まれて、少し変容していったんじゃないかとも。


 「非モテは最初はネタだった」という言葉も最近拝見しましたが、それは多分昔の関西ノリがテキストサイトの辺りで元の形を保ったまま流行ったということなのかなと少し思います。で、その後深化したのか変質したのか、いずれ新しい形を獲得したというところではないでしょうか。(もちろん発展で捉えずに、新しいものがそこで生まれたとしてもいいのですが)


 私個人として言えば、モテないことをネタにするのがきわめて文化的な営為だと感じられていて、もしネットの普及がなくても早晩拡がっていっただろうと考えています。
 少なくともあの「まじめに苦しむのが良し」とするだけの時代に*1、たまたま西の方の文化に触れることができたのは私にとってちょっとした福音だったかもしれません。


 yoghurtさんの「非モテは保護されている」を読んでそんなことを考えました。

*1:少なくともそれが主流だった時代に