グーグー

 猫好きの友人宅に先日伺った際、猫のサバって知ってる?と聞かれ、知らないと答えたらぜひ読んでみるようにと一冊のマンガを持ち帰らせてくれました。大島弓子の『グーグーだって猫である』(角川書店)です。
 大島さんは『綿の国星』をLaLa連載中に時々目にしたぐらいで、当然猫好きなのだろうとは思っていましたが、こういうマンガエッセイを描かれているとは全く知りませんでした。
 この本は、大島さんが13年と5ヶ月と1日一緒に暮らしていたサバという猫が亡くなった後から始まります。そして、その空虚さが癒えないうちに新しく彼女のところにやってきたグーグーというアメリカンショートヘアとの暮らしが淡々と描かれているのが本書でした。

 そういう
 後悔とザンゲの中
 グーグーは我家に
 やってきたのだ


 二度目の猫は
 トクである


 死んだ猫の分まで
 大切にされる


 ということは
 サバがグーグーを
 守っているのだ

 そうこうしているうちに、マンションの近くの公園で鳴いている子猫が彼女のうちに転がりこむことになります。これがビーです。(ちなみにグーグーは♂でビーは♀)
 そして一人と二匹の日常が軽いタッチの線画で続けられます。サバについては『綿の国星』の時のようにちょっと擬人化した描き方がされますが、その他の猫についてはそれはありません。そのスケッチはラフですがリアルで、まさに「日常生活」となっているのがよく感じられます。
 ところが本書の終わり間際になって、大島さんが子宮筋腫と卵巣腫瘍の手術をするということになります。淡々とした筆致は、それが悪性のガンであったことさえ(そして描いた時点ではもう大丈夫だということも)さらりと描いてみせます。
 大島さんは自分が死んだらマンションをあげるから二匹の猫の面倒を見てもらうという遺言を書きます。ここらへんはよくわかるなあと思ってしまいました。一番の心残りと言えばそれがあって、その手配がちゃんとされるなら少しは気が楽になるというものですから。
 このマンガエッセイは月刊本の旅人で連載ということです。抑えた筆致は、連載を読む人たちへの余計な心配をかけまいとする心配りだったのでしょう。
 そしてどうにもこの本が好きになり、続刊も含めて三冊出ているということを知り、ありがたくお返しする本の他に自分のものとしてその三冊を注文しました。それが大体家を空けているあたりに到着していて、夕べもこれらの本を読み返しながら眠ったのでした。
(何と猫はまだまだ増える模様。そして新しい本の帯にはこのマンガが映画化され、今年の秋に公開されるということがうたわれています。小泉今日子主演だそうです。 →ニュース


 今朝は(と言えるのかわかりませんが)2時半に起きてしまって、そのまま起きてます。死んだうちの犬の介助をしている夢を見て、眠くなったら寝ようと思っているうちに明るくなってしまい、そろそろ出勤時間となってしまったのです。
 ちょっと歩くたびにぺたんと座り込んでしまい、その都度お漏らしをしてしまう犬の後ろをペットシーツを持ちながらついて回って、タイミングよくお尻の下にシーツを入れようとしたりしていました。夢の中では。下を濡らす度に情け無さそうな顔をしてこちらを見る犬に、大丈夫だよ、このぐらい仕方がないからと言って不安にさせないように声をかけている自分は、ちょうど二年ほど前の日常を生きていて、それで唐突に今に戻ってしまった感じでした。