罪を憎んで人を憎まず

 「罪を憎んで人を憎まず」というのはどういうことなのか、結構折に触れ考えることがありました。
 それは「犯した行為が裁かれるべきであって、その心情を推し量って裁くべきではない」ということかなと今は思ったりしています*1
 ところが現行の刑法は客観的構成要件要素の他に主観的構成要件要素を考慮する(しなければいけないとする)思想がはっきりしていて、それが直接間違っているなどと主張するつもりではありませんが、「紛れ」は排除できないだろうなとも考えています。


 人の心はわからないもので、時に自分の心さえわからないものですし、その曖昧なものを推量して判断せざるを得ないというのは非常に難しいことだと思います。
 あまりにそういう難しいことに直面するともう原則の方をいじりたくなる、と言いますか「気持ちの推量」はやめて「犯した行為だけ」で裁判すればいいのに、と極論を言ってみたくもなります。


 特に人の命が失われた事件などでは、過失致死でも傷害致死でも殺人でも等しく回復不能な結果がそこにありますから、いずれにしても被害者側には同じで、加害者の量刑などというものに軽重がでるのを納得できないものだろうなと感じるのです。
 だからその被害者感情に全面的に依れというのではありませんが。
 ただ、今の法制度下では必ず紛れが生じ、そして「罪を憎んで人を憎まず」ということにはならないだろうなと思えるのでした。

*1:これがどれだけ他の方に賛同を求められるのかもよくわかりません