いよいよ

 今朝のニュース等でオリンピックのトーチリレー直前の雰囲気など映しているのを見ています。いよいよセレモニーとしてのリレーが始まるところです。どうなるものか固唾を飲んで見守っています。


 気になるのはやはり
 → 聖火リレー妨害や不参加は、“面子の国”中国を頑なにさせるだけ
 (中国経済ジャーナリスト 柏木理佳
 こういう類のご意見です。
 「中国にとっては他国の意見を聞く=面子を潰される」ことで「聖火リレー妨害や不参加は、“面子の国”中国を頑なにさせるだけ」だから薮蛇であるとするものですね。
 大概こういう現実派のご意見は現状肯定でしかないというように聞えてしまうもので、30年もすれば変わるよとか言われても説得力に欠ける感があるもの。この柏木さんは「IOCの交渉力」で何とか、といいますかそれが「最後の切り札」だろうとおっしゃっていてある意味誠実に論じられているとは感じます。
 でもまだ何かその切り札に強い説得力がないようにも見受けられて、これでどれだけの人が納得するだろうと思うところも正直あるのです。
 私はこうした中国を知る人の言葉には傾聴すべき点があろうと思います。もちろん中国を良く知る方がこうした現実派一色だけとも思いませんけれど。(そして幾分かは利害も関わるポジショントークである場合もあるでしょう)


 ただ、本来「チベットに自由を」ということが大本のはずです。中国を揺さぶるという意味で、戦術的に身近で行なわれるトーチリレーが絶好機であるとしても、戦略的にその揺さぶりがチベット問題の好転を意味するかどうか、これはよくよく考えなければならないことだと思います。(もちろん考えたってそうそうわかるものでもないのですが)
 楽天的に「やってみなけりゃわからないがとにかく行動だよ」としたくなるのもわからないではないのです。でも賭けられているのは私たちの命ではなく、基本的にチベットの人たちの自由であり命だということも忘れられないところでしょう。
 いずれにせよ妥当なアピールが為されて、問題の解決に少しでも近づくことを願っています。