中国カルト

 カルトとは数名以上のグループの動き方の一つを指すもので、集団で閉鎖に向かい、その中の個人は健全な識別能力や批判能力を失っている。


 だからカルトとは必ずしも「宗教」とは限らない。


 そもそも人間がグループを組んで、外界との接触を断ったり、外部に発することのできる社会的課題を与えられないでいると、新陳代謝を失って、カルトに向かう傾向がある。(中略)閉鎖されたグループは、カリスマ的なリーダーを作り出して依存するか、外部に仮想敵を作り出して攻撃に向かうか、内部でカップルをつくって安定するかなどのグループ反応を示す。


 このように閉鎖され、開かれた「生命原理」に反するグループは、一部のリーダーによって権力や金の獲得のために利用されることがある。それがカルト・ムーブメントで、宗教カルトはそのひとつの形にすぎない。


 (竹下節子『カルトか宗教か』文春新書073 より)

 チベット自治の問題、もしくは少数民族の人権の問題で異論を許さなく(許せなく)なっている今の中国の姿はカルト的と言うことができるかもしれません。(英語ならセクト的となります)


 あれだけ大きいのに、あれだけ数がいるのに「外に開かれていない」ように見えるのは驚異的です。
 誤った「愛国教育」が時にこのような姿を生み出してしまうことは、他山の石とすべきでしょう。


※他山の石
他山の石以(もつ)て玉(たま)を攻(おさ)むべし
詩経(小雅、鶴鳴)「他山之石、可以攻玉」〕よその山から出た粗悪な石も自分の玉を磨くのに利用できるの意から、他人のつまらぬ言行も自分の人格を育てる助けとなりうることのたとえ。
三省堂大辞林 第二版」)


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