内田氏の思いつきから思いつく

 内田樹さんの昨日のエントリ

 養老孟司先生が書評で取り上げてた月本洋『日本人の脳に主語はいらない』(講談社選書メチエ、2008年)を読む。
 御影駅の待合室でぱらりと開いて、「私は人工知能の研究をしていたが、数年前に人間並みの知能を実現するには『身体』が必要であるという考えにいたった。」(4頁)という箇所を読んで、思わず「おおおお」とのけぞってしまった。


 同じことを二年前の正月に気錬会の工藤くんから聞いたことを思い出した(彼もロボットの研究者である)。

 これでふっと思い出したのがメルロ=ポンティが書いていた

 もしも(ヘーゲルの言う)絶対精神というものがあるのなら、それは私たちと同じ手足を持っているはずである…という謎のようなフッサールの言葉を…

 という一節です。(もう二十年も前の卒論のあたりで引いたものに確かありましたが、今引用箇所を指摘することはちょっとできません)
 そしてそういうことを思い出した所為か、この後に続く内田さんの月本氏を引いた言葉

 ミラーニューロンによって、私たちは他人の行動を見ているときに、それと同じ行動を仮想的に脳内で再演している。
 その仮想身体運動を通じて「他人の心と自分の心」が同期する(ように感じ)、他人の心が理解できる(ように感じる)のである。
 子どもの場合は、「母親の身体動作を模倣することで、自分の脳神経回路を母親の脳神経回路と同様なものに組織化してゆく」(121頁)。

 といったくだりなどは、『知覚の現象学』でメルロ=ポンティが考えていたこととほとんど同じで、

 最初にあるのは「模倣する主体」ではなく、「模倣それ自体」なのである。
 だとすれば、「人間を中心に据えるのではなく、複写(模倣)を中心に据えて考えたほうが適切ではないだろうか。」(126頁)

 ここなどは、私とは je crois >cogito ではなく、je peux >I can (我為し得る)であると言明したメルロ=ポンティの思索と重ねて考えたいところだと思いました。


 連休後半に入る頃から体調が悪く(隊長は悪くないんです!すべては私の所為ですっ!)、今日はくしゃみ連発、鼻水ぐじゅぐじゅで、もう食べ物の味がわからないぐらいになってしまいました。風邪だと思いますが情けない話です。ふっと思いついたことも深める余裕がありません。で、思いつきだけ書き留めておきます。