煙草と悪魔

 芥川龍之介の小品で「煙草と悪魔」というものがあります。読むのに五分とかからないような短編ですが、今は青空文庫にも入っています(→XHTML版本編)。
 その冒頭は次のようになっています。

 煙草(たばこ)は、本来、日本になかつた植物である。では、何時(いつ)頃、舶載されたかと云ふと、記録によつて、年代が一致しない。或は、慶長年間と書いてあつたり、或は天文年間と書いてあつたりする。が、慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度(はつと)銭法度(ぜにはつと)、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首(らくしゆ)が出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。――


 そこで、この煙草は、誰の手で舶載されたかと云ふと、歴史家なら誰でも、葡萄牙ポルトガル)人とか、西班牙(スペイン)人とか答へる。が、それは必ずしも唯一の答ではない。その外にまだ、もう一つ、伝説としての答が残つてゐる。それによると、煙草は、悪魔がどこからか持つて来たのださうである。さうして、その悪魔なるものは、天主教の伴天連(ばてれん)か(恐らくは、フランシス上人(しやうにん))がはるばる日本へつれて来たのださうである。


 かう云ふと、切支丹(きりしたん)宗門の信者は、彼等のパアテルを誣(し)ひるものとして、自分を咎(とが)めようとするかも知れない。が、自分に云はせると、これはどうも、事実らしく思はれる。何故と云へば、南蛮の神が渡来すると同時に、南蛮の悪魔が渡来すると云ふ事は――西洋の善が輸入されると同時に、西洋の悪が輸入されると云ふ事は、至極、当然な事だからである。


 しかし、その悪魔が実際、煙草を持つて来たかどうか、それは、自分にも、保証する事が出来ない。尤(もつと)もアナトオル・フランスの書いた物によると、悪魔は木犀草(もくせいさう)の花で、或坊さんを誘惑しようとした事があるさうである。して見ると、煙草を、日本へ持つて来たと云ふ事も、満更嘘だとばかりは、云へないであらう。よし又それが嘘にしても、その嘘は又、或意味で、存外、ほんとうに近い事があるかも知れない。――自分は、かう云ふ考へで、煙草の渡来に関する伝説を、ここに書いて見る事にした。

 フランシスコ・ザビエルとともに悪魔がやってきて、それでタバコが日本に入ってきた…という(オチも)他愛ないようなお話です。
 でも次のところ

 南蛮の神が渡来すると同時に、南蛮の悪魔が渡来すると云ふ事は――西洋の善が輸入されると同時に、西洋の悪が輸入されると云ふ事は、至極、当然な事だからである

 ここはさすがに鋭いものだと思ってしまいます。
 欧米の文物でも概念でも、いいとこ取りなどできるものではないということは常に頭に入れておかねばならないでしょう。