食い違い

 「理解する」という言葉が「状況をわかってほしい」というニュアンスから進んで「共感してくれ」あたりまで行っている場合、状況はわかっているものの共感できない人には「理解」する術がありません。


 「対話」という言葉が、相手のいうことを説得するというニュアンスになっている場合、対話だと思って話をしていた人はそれを途中で止めるか説得合戦に参加せざるを得ません。


 「共感する」というという言葉が「味方になる」というニュアンスを含んでいる場合、個別のあることに対する共感は持つものの全人的な馴れ合いをする気がなかった人にとって、どうしたらいいのかわからなくなります。しかもその旨を伝えると「敵視」されたりして救いようがありません。


 きれいな言葉を使えばいいってものじゃないですね。