通り魔事件に根本的な解決を…と言っても

 昨日の秋葉原での七人死亡十人負傷の通り魔事件、今朝の報道で「通り魔事件に根本的な解決を」といったような意見も散見されました。もちろん「こんな事件が二度と起きないように…」という言葉に嘘はないでしょうが、それが通り魔事件であるならばこの言葉が何だかうつろに聞えてしまうのも確かです。
 秋葉原の事件の犯人は日研総業派遣社員だったとのこと。数日もすれば派遣社員の劣悪な(あるいは希望の見えない)仕事についての話題もでてくると思います。それはもちろん問題です。社会的な歪みが犯行のきっかけになったかもしれないという視点は外せないことでしょう。


 でも常にこうした犯行については、社会的―環境的―外的要因と個人的―精神的―内的要因の両面が関わるものです。どれだけ社会的に条件が整備されていったとしても、こうした通り魔的犯行が根絶できるようには思えません。
 犯人の精神的傾向のみを追求する道が愚であるのと同様に、社会的側面だけに問題を見ようとするのも愚かしいことです。社会的側面の問題点の穴埋めが私たちの利益になるというのは確かでしょうが、完璧な社会に至ることは期待できませんし、もしそれがかなりの点で成就しても不条理な犯行が根絶できるとは考えられないのです。


 一つだけ。「誰でも良かった」ならばなぜ秋葉原に来たのか。この犯人が「何をどうしたかったのか」という動機解明はぜひとも聞いてみたいです。(人を殺したかった…というところと違う次元で、です)