ろうそくデモ

 韓国大衆運動の「今日を超えうる希望」有田芳生の『酔醒漫録』)

徐さんに韓国情勢を聞いた。政権を追いつめているのはBSE問題だけではないという。グローバル化が韓国を襲い、経済的に厳しい状況にあることが背景にあるという。韓国では日本と違い市民運動がいまだ活発に活動している。その数は80ほどだという。徐さんから「日本の市民運動はどうしたんでしょうか」と問われる。

後期高齢者問題でも、派遣労働者問題でも、なぜ韓国のように持続的な街頭行動が起らないんだろうか。怒りや不満はどこに吸収されてしまうのか。日本の60年代、70年代は、なぜ消えたのか。あのときの人たちはどこに行ったんだろうか。

 どうしてこうノスタルジックに街頭行動/大衆運動を振り返るおじさんが多いのでしょうか。そして現在の韓国の大衆運動(示威行為)を「希望」などと無条件に善きものと捉えるのでしょう?


<米輸入牛肉問題>国民と大統領の間に国会はなかった中央日報

米国産牛肉の輸入再開への抗議から始まったろうそく集会が1カ月以上続いている。


87年6月10日の民主抗争(直接選挙による大統領選出を求めた全国民的抗議運動)以降、21年ぶりの大規模な集会となった6月10日のろうそくデモも終着駅にはならなかった雰囲気だ。


依然として市民は「再交渉が受け入れられるまで集会を続ける」としている。今回の集会は、08年の大韓民国の社会と民主主義の現住所を見せている。かつての民主化や労使関係、在韓米軍装甲車によるヒョスン・ミスン死亡事件、イラク派兵などといった理念的要素を持つ巨大な談論に代わって「牛肉」という身近なものが広場の争点となった。

【社説】皆、元に戻ろう!中央日報

 市庁前広場には民主労総、全教組、公共サービス労組など多くの利益団体がテントを張った。その広場は国民すべてのものだ。もう広場も開放すべきである。子供たちの手を引いてくり出した家長、ベビーカーを押してくり出した主婦、厳しい生活に怒りを覚えた庶民や労働者、鉄パイプで警察を殴ったデモ隊…。広場と都心を埋めた市民も、皆、家庭や学校、職場に戻ろう。

民主労総は牛肉輸入再交渉要求をめぐりゼネスト投票を進行中だ。一体、牛肉と民主労総に何の関連があるのか。それが労働者の賃金や福祉問題か。民主労総の存在理由を脅かす名分のない行動だ。貨物連帯は13日、建設労組は16日、ストライキを決行するという。バス業界も短縮運行を考慮している。石油価格と物価が上がって彼らの生活がどれだけ厳しいのか理解できる。しかし国全体の経済が厳しい状況で、そのようなやり方での物理力行使は、経済界全般に莫大な被害を与えるだろう。


 韓国での米国産牛肉輸入問題についての焦点は、4月18日の牛肉交渉での合意を巡って、それを白紙に戻して再交渉せよという勢力と政府との綱引き(政府側が押されている)になっています。ここらへんの勢力関係については、以下の記事に詳しいです。
 →米国産牛肉:国内で続く対立、再交渉の行方は?(上)朝鮮日報
 この件に関しては、アメリカとのFTAを阻止しようとする側と政府との駆け引きという側面もありますし、何より牛肉輸入再開は「対米追従外交」であるかのように、それをプライドの問題として受け止めるナショナリスティックで反米な感情が働いているように思えます。
 そしてその感情を喚起するために使われたのが「狂牛病怪談」(※参考)だったということなのでしょう。

(※1973年の日本
 四月は春闘のシーズンである。国労動労の順法闘争やストはまだ続いていた。三月十三日の上尾に続いて、四月二十四日には首都圏の主要駅で乗客による暴動が多発し、二十五日には国電がマヒ状態となった。二十七日には、国労動労私鉄総連、公務員共闘が一体となり、半日ないし終日ストが行なわれた。
 四月二十五日、私はテレビのニュースで、一般の乗客が赤羽駅に停車中の国電を焼き払ったり、上野駅の窓口をたたき壊したりする様子を驚きながら見た。大学闘争が全共闘という、特定の思想を全面に掲げた学生による運動であったとすれば、上尾事件や四月の事件は、そうした思想を少なくとも表面的には掲げないサラリーマンを主体とする点で異なっていた。だがいずれにせよ七〇年代前半の日本は、社会の不満に対しては実力行使に訴えるべきだとする空気を、六〇年代後半から継承していた
 (原武史『滝山コミューン1974』講談社 強調は引用者)

 ここで言われる「上尾事件や四月の事件」は、国鉄労組の順法闘争に対して一般乗客が反抗して起きた暴動事件でした。私はまだ子供で、しかも都会にいたわけではないのでこの騒然とした世情をそれほど憶えているわけではありませんが、今この実力行使をやられたら、とても温かい目で見守ることができる自信はありません。