お小姓と処女を配給する天国

 kanoseさんの 「非モテに彼女ができるように政策で対処すべし」という意見を書く人って大体非モテ界隈に言及する非モテ以外の人たちじゃないの? を読んで、
 政策で彼女をあてがったり、国家が処女を配給するのではなく、神の摂理として若いお小姓まなこすずしい処女妻愛情こまやかで頃合の年頃の処女たちが天国で与えられる世界もあったなあと。

 これ(先頭に立つ一群の人々)こそ(玉座の)おそば近くに召され…
 …金糸まばゆい臥牀(ねだい)の上に、向い合わせでゆったりと手足伸ばせば、
 永遠の若さを享けた(お小姓たち)がお酌に廻る。
 手に手に高杯、水差し、汲みたての盃ささげて。
 この(酒は)いくら飲んでも頭がいたんだり、酔って性根を失くしたりせぬ(天国の酒は現世の酒のごとき粗悪品ではない)。
 そのうえ果物は好みにまかせ、鳥の肉など望み次第。
 目(まなこ)すずしい処女妻は、そっと隠れた真珠さながら。
 これもみな己が(善)行の報い。
 もうそこではくだらない馬鹿話も罪つくりな話も聞かないですむ。


 次に右組の人々、これはどうかと言うに、
 刺なしの灌木と
 下から上までぎっしり実のなったタルフの木の間に(住んで)、
 長々と伸びた木蔭に、
 流れてやまぬ水の間に、
 豊富な果物が
 絶えることなく、取り放題。
 一段高い臥牀があって(そこで天上の処女妻たちと歓をまじえる)。
 我ら(アッラー)が特に新しく創っておいたもの、この女たちは(地上の女のように両親から生まれたものでなく、この目的のために特別に新しく創った女である)。
 特に作った処女ばかり。
 愛情こまやかに、年齢も頃合い。
 右組の連中の相方となる。


井筒俊彦訳『コーラン(下)』岩波文庫、pp.168-169。「五六 恐ろしい出来事 −メッカ啓示、全九六節−」)

 非モテ男女はイスラムに改宗することをちょっと考えてもいいかもしれない…