講義ノートビジネス

 coconutsfineさんの「テスト前に講義ノートを売るというビジネスがおもしろい」と、mojixさんの「大学の講義ノートを売るビジネス」を読んで。


 基本的な考え方から言うと、授業に出席しないで講義ノートだけで単位を取ろうとする行為はチートでしょう。大学の単位は学習する時間を基準にして出されるものだからです。

単位制度の趣旨
現在の我が国の大学制度は単位制度を基本としており,1単位は,i)教員が教室等で授業を行う時間及びii)学生が事前・事後に教室外において準備学習・復習を行う時間,の合計で標準45時間の学修を要する教育内容をもって構成される。これを基礎とし,授業期間は1学年間におよそ年30週,1学年間で約30単位を修得することが標準とされ…
(大学審議会 21世紀の大学像と今後の改革方策について(答申)より)

 最低限その内容を習得したかどうかはもちろん試験等ではかられる(つまり時間をかけても内容が理解されていなければ単位は出されない)わけですが、原則として単位認定に関わるものは「時間」ですので、それを効率化するという行為はどうしてもチートにならざるを得ないのです。

 全15回の「講義」課目(1コマ90分・半期2単位)では

  2単位が認定されるのに必要な学習時間 =5400分(90時間)

 これが要求されています。

 ※1コマの授業は大体90分で行われますが、これは1校時(2時間=120分)とみなされています(ちょっとお得)。
でもこれだけでは 120分×15回=1800分(30時間)にしかなりません。実は講義課目は、授業と同じ時間だけの
予習(120分)と復習(120分)が行われているという前提で単位が認定される仕組みなのです。これで

 (予習120分+授業120分+復習120分)×15回 =5400分(90時間)
 
 ということで、やっと2単位が習得されたということになるのです。

 この考え方が実際とはかけ離れているとしても大原則としてこれを変えることはできません。その理由は、この時間制での単位認定が現在のところグローバル・スタンダードであり、これを変えると海外の大学との単位の互換が失われ、日本で取った単位、日本の大学を卒業した学士の資格が世界標準と等価ではない(劣ったもの)とみなされる危険性があるからです。

 これについては、私もcoconutsfineさんに賛成だ。「時間を節約させる」ソリューションをお金で売るのは正当なことであって、ビジネスの基本ですらある。世の中には、お金を出して時間を買いたい人がたくさんいる。

 半年の授業に出なくても、それだけ見れば試験に通るようなノートをまとめられた人がいれば、それはそのノートの作者がそれだけ優れているのであり、対価を受け取るに値する。

 とおっしゃるmojixさんの「合理的思考」は理解しますし「量より質」を求めたいとされる立場にも共感できるところはあります。でもやっぱりそれは入学試験や資格試験などにおける合理性であって、大学の単位の発想とは異なる方向なのです。そこでは上限は設けられておりません。進めるだけ進むのが正しいとされるものなのです。
(ちょっと余談です。この引用にあるような「優れたノートの作成者」の資質を認めるのにやぶさかではありませんが、それが講義をまるまるネタ元にしているとすれば「人のふんどしで相撲を…」という側面は否めません。本当にその人が「対価を受け取るに値する」と言い切れるかどうか若干の疑問も湧きます。その内容を図書館の本その他に求めて参考書的な内容を書くならもちろん後ろめたさはないのでしょうが…)

 そのノートを見るだけで試験を乗り越えられるくらいの学力がつくのならそれは歓迎すべきことだし、もしノートを見ただけで試験を乗り越えられるようなら、授業がその十数枚の紙程度の内容しかなかったということになるか、実力を問うような試験をつくることができなかったことになる。「授業にでている人にだけわかる問題」というのが確かに存在するのだろうけど、それは講義ノートをみればすぐにわかるような単なる合い言葉ではなくて、本来は「授業の内容を理解していれば解ける問題」なので、講義ノートを見ただけでその問題が解けるのであれば授業の内容を理解しているのでやっぱり問題は無い。

 coconutsfineさんのこう書かれることも一見合理性はあるものと思われたのですが、大学の試験というものが(時間をかけた上で)最低限の認定を与えるものとなっているところからすれば、こういう受け取り方は誤りとなるでしょう。(やはり資格試験のようなものでしたら正しい考え方に思えますが)
 大学の試験で問われる「実力」は最低限のもの。それ以上どこまで行ってもよい。あくまで単位認定者は「学習に時間をかけた者」に対して必要条件を認めるだけ…、と考えるのが原則に適う考え方でしょう。認定者は本来十分条件を認めることはできないのですから。


 とはいえ、現実に各々の学生がきちんと時間をかけて学習しているかどうかをすべて調べることはできません。コストの面からもそうです。従来のやり方は一朝一夕には変えられないでしょう。
 せいぜいできることは上記のような内実をはっきり知らせて、時間をかけるんだよと呼びかけるぐらいのこと。いえベストなのは知的好奇心を喚起する「時間をかけたい」と思わせるような授業をすることなのでしょう。
 あるいは「十分な時間をかけなければ単位がでない」ような難しいハードルを設定するというのもあり得ますが、これはなかなか現状では難しいようです。わからなきゃ落とす。どんどん落とす。ということを全学的に実行している日本の大学というものは聞いたことがありません。少子化ということもありますし、経営の側面からこれはできないんだろうなと思えています。


 講義ノートビジネスはどうしても「裏道」です。堂々とやっていいものだとは思えません。ニーズがある以上なくなりはしないでしょうが、せめて後ろめたさは認識すべきではないかと(私が在学していた頃も「ノートコピー」はありましたが、mojixさんと同様それを商売とするような人は見かけませんでした)。
 もちろん私は自分を「罪無きもの」としてお二人に石を投げているのではありません。少し違った角度からこの講義ノートビジネスについて考えてみたとご理解ください。ちょっとした問題提起といったところですね。