今日、ふと夕方気付いたらひぐらしが鳴きはじめています。昨日までは一匹も鳴いていなかったのですが、唐突にあちこち遠くから鳴き声が。気付く前から鳴きだしていたのでしょうが、意識すると急に聞えてくるものです。夕べちょっとした嵐になって雷がしきりに光っていましたが、そういうのも関係しているのでしょうか。


 ひぐらしはわりに夏の早いうちから鳴き始めますが、どうも刷り込まれたイメージとしては夏も終わりの夕方という感じを個人的に持っています。今は少しばかり、まだやっと始まったばかりの夏が今にも終りそうなそんな錯覚すら覚えています。
 季語としてはひぐらしは秋ということですが、好きな句は

 ひぐらしや熊野へしづむ山幾重
             水原秋櫻子

 あたりです。これは無理に秋をイメージせずに夏の句として味わえるものではないかとも思えます。
 季語の感覚なんて月並みでいいはずです。


 源氏の若菜にひぐらしをモチーフにした歌のやり取りがあります。
(兄の)朱雀院の娘、女三宮を正妻に迎えた光源氏ですがこの巻(下巻)で紫の上は病の床につきます。やや小康を得た時に彼は女三宮のもとへ立ち寄り、昼寝をしてひぐらしの声に目を覚まし帰ろうとするところで

 夕露に袖濡らせとやひぐらしの鳴くを聞きつつ起きて行くらん
 (おりている夕露に袖を濡らして泣けとおっしゃるのでしょうか ひぐらしが鳴くのを聞いて起きてゆかれるのでしょうか)

 というように歌で引き留められます。ここで源氏は

 待つ里もいかが聞くらんかたがたに心騒がすひぐらしの声
 (私を待つ里の方でもこの声をどう聞いているのでしょう あちらこちらで(心細く)人の心を騒がすひぐらしの声を)

 というように詠んで、躊躇しつつももう一泊することにします。
 ところが次の朝、光源氏は偶然にも柏木から女三宮に届けられた文を見つけ、柏木が彼女と通じたことを悟ることになってしまうのです。(紫の上の看病のため源氏が不在のうちに柏木がしのんできていたのです。そしてそこで懐妊したのが薫なのでした。光源氏が密通に気付いたと知った柏木はおそれのあまり死の床につくことに…)


 ちょうど源氏の人生が暮れかかる、そういうところでのひぐらしのエピソードではないかと思えます。千年も前からひぐらしは(ある意味月並みな)終わりゆくものへの感興といったようなものをイメージさせているのでしょう。