漢民族

漢民族の形成
 この言葉が用いられ始めたのは19世紀以後で、清朝を建てた満州人と、元々の居住者を区別するためであった。漢族という用語は人種的分類ではなく文化的な民族分類であり、その実体は中国の歴史で繰り返された漢族の周辺の異民族との混血の結果である。故に異民族でも漢族の文化伝統を受け入れれば、漢族と看做される。実際、漢民族は成立から現代に至るまでの長い歴史の間に五胡、ウイグル契丹満州、モンゴル、朝鮮その他多くの民族との混淆の歴史を経て成り立っている。そのため、現代の漢族と古代の漢族は実態として全く異なっており、時代毎にその民族要素は大きな変化を示している。だが一方で同一の民族意識を共有する集団としての共通性もまた多く継承している。
(Wikipedia日本語版「漢民族」)

 私は漢(民)族は「中華思想を共有する人々」だと思うのですが、この中華思想のやっかいなところは「中華が世界の中心であり、その文化、思想が最も価値のあるものとし、漢民族以外の異民族の独自文化の価値を認めず「化外の民」として教化の対象とみなす」ようなところにあるでしょう。
 言ってみれば文化のモザイクを許容せず、メルティング・ポットのような「中華」だけが正統性をもっている社会ということ。


 これを考えてみると、開会式の「少数民族の子供」大半が漢民族 五輪組織委産経新聞)という記事の意味もちょっと違って見えてくるように思われます。
 つまり建前としてはすでに人々は同化・教化されてそこにいるということなので、少数民族ではない者がその意匠だけ使ってそこに参加したとしても無問題。なぜならそれは「中華の一部」だから。 …という気持ちがあるんじゃないかと考えています。