排除(内と外)

 うまくいっている(いっていた)「内部」に問題が発生するのは、「外部」から異物が侵入したからであって、その異物を排除すれば再び「内部」はうまくいくはず…
 実際に何らかの外的要因がことの本質であるときには、このシンプルな発想は正しいわけです。そしてその場合「異物の排除」が問題の解決に劇的に結びつくことだってあるでしょう。
 問題はこの単純な構図が常に正しいとは限らないというところにあって、この解法が有効であるときがある、ということを以ってすべての問題をこの構図に落として考えることはできない(論理的ではない)という当たり前のことが時々忘れられてしまうところにあるのです。
 何より、スタティックに「うまくいっていた」と把握されるその状況自体への認識が、果たして本当にそうであったのか。その検証がまず必要かと考えます。時に人はノスタルジックに過去を理想化しますし、そういう場合往々にして何らかの内的要因が原因であることを認めない(認めたくない)心理が働くものですから。


 いろいろな最近の話題において、私はおぼろげにそんなことを考えていましたが、そういうことを最初に自分に考えさせた話がどこにあったかというあたりを思い出そうともしていました。そこでようやくつきとめたものの一つが、以下に引用する論考でした。

 現在、わたしたちの周辺において、医の技術知としてうけいれられているのは、つぎのような立場である。その立場には、「近代」とか「西欧」とかの名が冠されてよいが、しかもなお現在、近代と西欧との範疇をこえて、通用力を主張しうることに、注意しておきたい。
 まず第一に、病変の多く、もしくはほぼすべては、人体にとっては外在的な要因によって生起すること。人体のメカニズムがいかであれ、それ自体は本来的に良好な状態で機能しており、病変はそこにはおこりえない。その外在要因としてなにを措定するかについては、近代科学史上の苦難にみちた論争が、想起されればよかろう。結果として、その外因は、病原菌の周辺に集中されていった。

 病原菌であれ、そのほかの異物(それは、結果として、しばしば未知の病原菌をふくむものであるが)であれ、病変は、生体にとっての外来物の責に帰される。そのような認識は、あきらかにひとつの確固たる世界観にうらうちされていた。すなわち、内外の区別対応である。生体の部は、自立して隔絶された城壁囲繞空間のごときものであり、界は、その生体にたいして、つねに敵対的な異種空間だとする思考である。部は、生理学的にいえば、善の価値を体現しており、界は善に対立する悪の価値をおびることになろう。
 認識手段としても、また価値規範としても、とは、明白な対抗関係のなかにおかれる。そのような思考法が、西欧および近代の世界のなかに、確たる足場をもっていることは、あるいは累説を要しないであろうか。そのさいの、とは、たとえば都市城郭と農村空間とにおきかえてもよい。あるいは、ヨーロッパと非ヨーロッパとしてもよい。または、霊と肉、天使と悪魔、自我と世界といってもよい。主体と客体といいかえることすらもできよう。いうまでもなく、霊と自我と天使とが、病変におかされるのは、肉や世界や悪魔という異物、病原体が、外から内部を侵犯するところに発する。

 さて、病原菌や異物という外来原因説は、ただちに近代治療法の枢要をみちびくことになろう。すなわち、疾病原因の除去にほかならない。病原菌の排除、つまり消毒こそが、治療の中心をなすようになる。十九世紀後半にはあいついで消毒法が発見された。石炭酸、マーキュロ液などの薬物殺菌法や、煮沸、焼却などの物理的消毒法は、多数の疾病から、ひとを救済した。さらには、腐敗食品、汚濁空気から、健康人を隔離することによって、疾病は予防されうるようになった。かつて、レプラやペストにたいして、ひとびとがおこなってきた隔離法は、病原学的な根拠をあたえられ、病原菌は正当な治療法によって生体からとおざけれられる。


 むろん、隔離されるのは、異物としての病原菌ばかりか、疾病をおびた患者でもあった。伝染源を除去するという名目のもとに、患者は治療施設のなかに収容される。病院は、患者にとっての保養施設であると同時に、隔離のための場とも観念される。との対抗図式は、治療の場では、病院の内外にあてはめられる。想像されるように、成果はめざましいものであった。もっとも恐れられた急性伝染病の犠牲者は激減した。近代医学の勝利として讃仰されるのは、これら一連の発見、発明のことである。
樺山紘一「医と病の歴史学」、『アナール論文選3 医と病』、新評論1984、所収)

 元がアナールの訳論文集でしたので、日本語の論文が入っているということを思い出せずになかなか見つけ出せませんでしたが、やっと。
 話題になった手術失敗の裁判についても、集団からの選別・排除の問題についても、この「内と外」がどう捉えられているか、またその局面で何が「内」とされているかということを考えるべきではないか、という自分の発想や問題の把握が、ここらあたりに端を発して肉付けされて出てきたものだったかなと思い返しています。