幸福像は月並

 彼女が欲しい、っておかしい事なんですか - 或るオタクの遠吠え-Over the Rainbow-
 こちらで話題にされていた「彼女が欲しい、っておかしい事なんですか」っていう問いには、私は全然おかしくないでしょうと答えたいです。
 これは多分「不幸は人の数だけ存在するけど、幸福はそうじゃない」っていうことの現れだと考えます。
 幸せを漠然と思ったときに、どうしてもその幸せ像は誰かの幸せをなぞるような形で希求されてしまうもの。月並みになって当たり前なのだと思います。だから「人並みの幸福」っていう何かをささやかに願ってしまう人に、何でもかんでも具体的で明確なイメージを持て、とか言うのはちょっと的外れじゃないかなとも。


 もちろん誰かを愛することが先で誰でもいいから彼女をとかいうのは筋違い、なんて言うことにも一理はあります。ただこれを否定したら、実は世の多くの漠然と幸せを願う人たちの思いを否定することにもつながるように感じますね。
 誰か友達が欲しいとか、学歴があったらとか、いい会社に入りたいとか、彼氏彼女が欲しいとか、結婚して子供が欲しいとか、マイホームが欲しいとか、幸せな家族のいる老後を過ごしたいとか、みんな「誰かが持っているであろう(そして自分は手に入れていない)何か」に対する月並みな欲望なんでしょう。自分が幸せとは思えないから、誰かが持っている何かが幸せにつながってるんだろうと、そういうふうに思われてしまう。それを責めるのは酷なことです。


 というのを、上の記事を読んでまず思いました。
 月並みな幸福を願ってしまうその俗物性を叩く人はあちこちにいます。場合によっては私もそんな気になることがあったかもしれません。でもよくよく考えてみればそんなことができる幸福マッチョになれやしないのですから、しばらく前から自分ではそういうことは言わないようにしていますね(できるだけ、ですが)。