人にはどれだけの土地がいるか

 人はどこまでいっても未来がわからないから不安になることがある、というのは否定できないものの、未来にちょっとでも不安があれば今も不安・不幸せなはずだ…というのは間違いなく言い過ぎです。先行きの不安はそれとして、私たちは今も生きなければいけません。あまりに将来に気を回しすぎて、その不安で現在を毀損するのは本末転倒?ではないかと時々考えます。


 たぶん「アリとキリギリス」のお話が(悪い意味で)「将来不安派」のイデオローグになってしまっているのかも。あのお話に教訓を得てもいいのですが、「想像の中の不安」というものは往々にして過大に誇張されてしまうもの。ちょうどそれは煽られた欲望が一人歩きして増大してしまうのと同じ構造の中にあるのでしょう。それらは表裏一体の兄弟ではないかとも思えます。


 そういうときにはトルストイの、
 ⇒『人にはどれだけの土地がいるか』(Amazonにリンク)


 ある農民が一日かかって歩いただけの土地を自分のものにできるという話に乗り、日暮れまでにさんざん歩いてそして…というこのお話は、確か私は最初紙芝居で見たと記憶しています。
 これまた何十年経っても頭の中に残るだけの寓意に満ちていて、「アリとキリギリス」を良い意味で中和してくれる物語だと感じます。
 将来の不安を必要以上に煽ってくる人、事柄があったときには
 「人間いたるところ青山あり」
 「起きて半畳寝て一畳」
 そして「人にはどれだけの土地がいるか」というように考えて、「現在」を救うようにしたいと思っています。


 (参考?):アリとキリギリス