思い出話

 二十何年か前の春、運良く大学に合格した私は、学校から届いたお知らせに目を通しその入学式に出席していました。大学の入学式に出たのは、そもそも入学式には(新入生は)出席するものだという常識を頭から疑わなかったということと、父親と(なぜか)祖父が出席したいということを言ってきていたからでした。まあせっかく遠くから来ようというものを断る理由もありませんでしたから出てくれるならどうぞと、何となくそういう流れで二人がやって来て父兄席に座り(私はアリーナ席?でした)、大学の入学式というものが始まりました。
 後に「大学に入ってまで親が来るなんて…」という(私に向けられたものではなかったのですが)言葉にひそかに赤面し、やっぱり来てもらわないほうがよかった…というこれまた青臭い感想を持ったのですがそれは余談。


 さて入学式場の壇の上には、中央に演台があって(たしか)花が飾られ、その右斜め後ろにはパイプ椅子が二列十数脚あまり並べられていました。何かなと思っていると開始の時間の少し前にそこにお爺ちゃんたちが来て腰掛けたのですが、最後まで彼らは発言をしませんでした。後で人から「名誉教授」たちだったらしいと伺いましたが、それすらわからない状況で式にでていたのです。
 さてそろそろ始まる頃合いかなと思っていた時、突然ラフな格好をした人が飛び乗るように登壇し、マイクの前で「今日ここに集まった君たちにアピールしたーい!」という具合に何か叫び始めました。
 間髪を入れず警備の人と職員らしい人が壇上に駆け寄って、何か言おうとしていたその人の両脇から腕を取り壇上から引きずり降ろそうとしました。その人はまだ何事か叫んでいましたし、私の周囲の学生なども何か歓声のようなものをあげてあたりは騒然。彼が降ろされてからまもなく入学式は普通に始められていきました…。


 あとで知り合いになった何人かに聞いてみると、噂に聞く学生運動の闘争みたいなのが入学式で始まって興奮した云々という反応が一番多かったです。言い換えるならば昭和の50年代の終わり頃のその入学式では、すでに一般の高校生にとっては学生運動は過去の話になってしまっていたということであり、そこでアピールしようとした男の人のエピソードは「退屈な式典を攪乱してくれるみもの、ハプニング」ぐらいの受け取られ方でしかなかったということだったんですね。


 そうこうしているうちに教養の授業が始まって(まだ4月の間はお試し期間だったはずですが)、履修登録をしようかなと思ういくつかの授業に出ていたときのことです。
 とにかくこの教養部の建物は古く汚れた感じを与えるものでした。そういう汚さにはそのうち慣れてしまいましたが、授業で教室に入っていくたびになにがしかを訴えるビラが大量に散乱していて、また黒板は両脇からべたべた貼られた活字ビラで埋められていて、ほんの2,3メートルぐらいしか実際に使えるスペースはないことなどにもちょっとだけ閉口していたそんな春先、授業の開始時に数名の男性が入ってきて「アピール」を始めたのです。
 構内で拡声器で話すそうしたアピールはそれまでに何度か見ていたのでしたが、目の前で初めてそういうのが始まってちょっとびっくりしました。いや後から考えると話すだけ話してもらってお引き取りいただけば良かったという感じもしますが、その時は教室にいた新入生のほとんどが固まった感じで、どう対処して良いものか五里霧中のようになっていたのです。
 その時誰だったか一人の男子学生の口から
 「帰れ」
 という過激な言葉が。
 そしてあっという間にそれに同調する声が揃ってきて、「カ・エ・レ!」「カ・エ・レ!」「カ・エ・レ!」の合唱となったんです。(私はカエレコールをする度胸もなかったというか、実は教室の前の方に座っていてしかも彼らが入ってきてすぐのところにいましたので、いきなり帰れ!というと何かされるかもしれないと(びびって)最後まで固まっていただけでした…)
 「お前ら(キミタチか?)何を言っているんだ!」というように入ってきた数人は怒って少し叫んだのでしたが、カエレコールがあまりにとりつく島もないという感じで、結局ビラを少し蒔いて彼らは帰っていったのでしたが、とにかくこちらはびっくりしているだけ…。
 まあ四月のこれは彼らのリクルートも兼ねていたようで、軽々に論争して巻き込まれるのも問題と言えば問題だったかもしれません。後でそんなことも知りました。どころか某「研究会」に入った友人は度胸試し?も兼ねて次の年から教養でアピールする実践をさせられてました。
 悪慣れしてくるともうそういうのには動じなくなりますし、知り合いとか知り合いの知り合いとかがそこらへんに足を突っ込んでいるのも増えてきますので、最初にびっくりしたあの衝撃は新入生の最初の頃だけだったのですが、結構カルチャーショックとして忘れられない事件の一つです。


 さて、大学は学問をするところで、学費を払って授業を受けようとする学生の講義を邪魔することは良くない…というのは一見当たり前のことではありますが、あの時乗り込んできた彼らはそういうことは百も承知の確信犯だったわけです。そしてその上で「もっと大事なことがある」「聞け!」という意識で乗り込んできたのだったでしょう。こちらにも「うるさい!帰れ!」という自由もありますし、そういう駆け引きというか相対し方を学んだり、無視するにしてもやり方があることを憶えたり、そんな野放図も含んで「大学だなあ」と思えたのはあれが20年以上昔だったからでしょうか?
 何かで名前とか住所をとられて家に来られるとまずい、という常識?は一週間も経たないうちに覚えますし、それを避けるのだったら少々議論しても暴力に訴えてはこないという呼吸もすぐにわかってきました。押しの弱い新入生は避けるのが無難ですが、そのうち何だかんだ話したり一緒に飲んだとかいう学生も出てくるわけでして、ああいう人たちもいるねと、リクルート時期をずれたらそんなに授業も邪魔しないよねと、そういう妙なことも含めて「学んで」、一年ぐらいすると結構すれっからしになっていったのでした(笑)


 あと当たり前のことですが、そういうペルソナで相対する彼らと、そうでもないところで知り合う彼らとは案外別物でして、今から考えると所詮は彼らも学生。その後聞いた話ですが、「腹の据わったおじさん」タイプあたりに結構弱いものだったということで、学生部長になった(心理学者の)狸親爺にはてんで歯が立たなかったということもちらっと…
 敵対してくる者に対しては反発できても、「まあ話を聞こうじゃないか」という大人にはなかなか慣れていなかったというのは、微妙にほほえましいような気もします。という思い出話でした。