新卒採用が無くならない理由?

 【断 中村文則】タメ口、使えますか?(MSN産経)

 先日、フリーターをしている友人とお酒を飲んだ。「年下の正社員に、タメ口を使われるのがジャブのようにこたえる」。笑いながらだったが、彼は結構つらそうだった。あるチェーン店の飲食店でバイトをする彼は、入社してくる新入社員達にタメ口を使われるという。彼らは、社員には敬語だが、自分より前から働き、彼らより当然仕事が出来、かつ年上の彼に、タメ口を使う。彼以外の年上のアルバイトに対しても、そうらしい。(以下略)
(2008.12.14)

 確かにここで語られる「年下の正社員」たちの態度は褒められたものではないと感じますが、年上の側の「つらさ」の感じ方には日本企業が新卒採用を続けようとする理由の一つが隠れているような気もします。
 それは「長幼の序」といいますか、学校生活などで染みついた「年上の人には敬語を使ってしかるべき」という感覚と、それが破られた(年下に敬語無しで話しかけられた)ときの屈辱感というものではないかとちょっと思いました。
 新卒採用を繰り返す企業は、言ってみれば擬似的学校環境を作ろう*1としているんじゃないかと何となく感じていました。ほぼ年齢順に新入社員が入ってきて、自然年上の方が入社年限も長く、スムーズに「長幼の序」に則った組織が構築できるからです。
 もちろんその秩序はずっと続けられるものでもないのですが、企業で何段階か飛ばした昇進が人間関係に陰影を与えてしまったとかいうニュースを聞いたりするところからも、この「年下タメ口(もしくは上司風)の屈辱感」というものが意外に人を縛っているのかもしれないと思えたのです*2


 もちろん上のコラムでは「年上のアルバイト」の方が経験が長いというエクスキューズはあります。その分現場のことを知っている(教えてやっていた)ということもあるでしょう。でもここでの屈折した屈辱感の感じ方は、「身分違いと思われて、年下にタメ口をきかれた」その屈辱と受け取れると思えるのです。
 それが「余計なストレス」であると思われるからこそ、いつまでも新卒採用にこだわるようなことがなされるんじゃないかと(まあそれだけが理由でもないでしょうが)そんな感じではないでしょうか。
 官僚の天下りというのも、結局は「長幼の序」を乱す「年下の上司」を極力避けようとするところから生まれたものじゃないかなとも邪推したりしております。

 かつて会社に正規に雇用されるのは普通であったのに、このような意味不明な雇用体系になってから、それすら「優越感」を与えるものになっている。虚(むな)しい。

 という言葉が、非正規雇用が増えたを嘆く言葉であると同時に、年齢順の新卒採用の頃を良かったなあと懐かしむ言葉にもなっているような気がしてなりません。この言葉に頷く人が多いうちは、新卒採用が無くなることもないんじゃないかと思えたのでした。

関連?

 ■最近の新卒たちに言いたい事がある
 こちらは上記とやや異なって「勤続年数が全て」というもの。

社会は勤続年数が全てだ。例え年が18だろうと81だろうと、入社が早いほうが偉い。
そして1日でも早く入社した人が先輩だから、敬語を使え、頭を下げろ、命令は絶対だ。

 これに似たものとしては僧侶社会の「法﨟」というものがあります。

「﨟」らふ(名)
 (仏教語) 僧侶が受戒後、安居の功を積んだ年を数える語。身分の高低にいう語。階級。

 これも実年齢には関係なく、どれだけ僧侶になってから長いかで先輩―後輩の序列がつけられるといったもの。


 正反対のものとして、確かプロ野球社会などプロスポーツの分野で、どれだけ活躍しているかとか長くプロにいるかではなく、実年齢だけで上下関係(というか敬語関係)が決められるという状況があったはずです。
 あれは、意外なところで意外な同級生関係があって、自分より下だと思った誰かにぞんざいな口をきいたときに、その人の同級生で自分より上の立場の先輩が怒ってくる…というのを避けるための決めごとだったという話を聞いたことがあります。
 体育会的な上下関係からいつまでも抜けきれないこの話も、先の勤続年数がすべてだという話も、どちらもちょっとおかしなものと思えてなりません。

*1:あとで若干乱れるにしても、少なくとも最初のうちは

*2:似たようなものとして「女性上司の命令」などがあったのは一昔前…と思いたいです