無財の七施

 確か仏教説話だったと思うのですがこんな話があったはずです。

 あるところに一人のお金持ちがいた。彼の近所には「長者」と呼ばれる人もいて人々から尊敬を集めていたが、彼もどうかしてそう呼ばれるようになりたいと願っていた。そこで彼は貧しい人々に施しを始めた。
 近郷の貧者たちがこのお金持ちの門前に行列を作った。人々はそこで着るものを得、食べる物をもらって帰って行ったが、一人の男だけ施しを受けるなりすぐにもう一度行列に並び、何度も施しを受けていた。
 五度目ほどまでお金持ちの男は抛っておいたが、六度目に列に並んだ男に我慢できなくなって一言いった。


 「お前は何で繰り返し施しを受けているのか?怠け者な上に欲張りな奴だ」


 その男は言った


 「あの長者さまのところで施しを受けたときには、二十回も三十回も並び直しても何も言われませんでした。あなたが長者と呼ばれないのは、まさにその違いがあるからですよ」

 布施というものの本義を考えさせる、といったあたりの話なのでしょう。この並び直した男は実は金持ちの心を試す何らかの神的存在の化身…という話だったかもしれません。
 少々抹香臭い味わいはありますし、若い(幼い)私は何か理不尽な感じも受けたのでしたが、いまだに梗概を覚えているところからすれば考えさせられる何者かがあったのかもしれません。


 四国では八十八カ所参りのお遍路さんが歩いています。今やバスを使った遍路が主流となっているらしいのですが、昔はもちろんそういうものは無くただただ巡礼は歩き続けていたのです。お遍路さんが回ってくると、かつては(あるいはいまだに)「お接待(おつとめ)」という施しが為されていたそうです。お遍路さんは自分たちの代わりに歩いているのだ、という気持ちだったとも言われています。
 ただ、一人一人が施す財物も限られていますので、四国の人たちは持ち合わせが無いときでも「無財の七施」というものを捧げようと考えていたそうです。


 その一 眼施(がんぜ):暖かいまなざしでお遍路さんに接する
 その二 和顔施(わげんせ):微笑みをお遍路さんに向ける
 その三 言辞施(ごんじせ):お遍路さんに暖かい言葉をかける
 その四 身施(しんせ):礼儀正しいふるまいや行動でお遍路さんに奉仕する
 その五 心施(しんせ):形だけでなく思いやりの心をもってお遍路さんに接する
 その六 床座施(しょうざせ):寝床や座席をお遍路さんに提供する
 その七 房舎施(ぼうしゃせ):お遍路さんを家に迎えたり雨露をしのぐ所を差し上げる。それが出来ないときにはせめて傘を差し掛け、自分は濡れてもお遍路さんは濡れぬようにする


 お遍路さんは本来、四国をぐるぐる回り続けるものでもあったと聞いています。それこそ行き倒れて死ぬまで。
 そこに一つの人生の象徴が見られたからこそ、四国の人々はお遍路を暖かく遇したのかもしれません。