宗教関係サルベージ「福神信仰(えびす)」

福神信仰 (20050620)

 七福神というグループ化した福の神々のまとまりが作られたのは日本です。恵比寿神が入っていることからもそれがわかるでしょう。またこれと相同のものを海外に見つけることはできていません。
 ただし7というのはマジカル・ナンバーの一つとして汎宗教的に使われる数ではあります。「ラッキーセブン」もそうですし、一週間の日数(<聖書)、仏陀が誕生して七歩あゆんだこと、七支刀…その他いろいろあります。
 現在、直接七福神の成立に寄与したと考えられているのは、『仁王護国般若波羅蜜経』の「受持品」にある「七難七福」という言葉ですが、どこまではっきりした影響を与えたのかは推測の域をでません。現在見られる七福神のメンバーが確定、成立したのが室町期であることは考証されています。


恵比須(夷)
 性別:男 国籍:日本
 留意点:海からの来訪神。不具性のイメージ。
 事代主命と習合。


大黒天
 性別:男 国籍:インド
 留意点:摩訶迦羅(mahakala) 〜シヴァ神の化身・侍者。(マハー(大)+カーラ(黒))
 シヴァ神のアヴァターとされるが、もともとは大地の神様だった。
 戦闘神・台所の神。多面多臂(>三面大黒)。
 大国主命との習合。


毘沙門天
 性別:男 国籍:インド
 留意点:多聞天護法神(守護神)。四天王中最強の神。
 ヒンドゥーではクベーラという財宝の神。


弁財天
 性別:女 国籍:インド
 留意点: サラスパチー(水の女神・精)。もともとは川の神様。
 天鈿女命と習合。


福禄寿
 性別:男 国籍:中国
 留意点:南極寿星化身の仙者。


寿老人
 性別:男 国籍:中国
 留意点:南極寿星化身の仙者。もともとは福禄寿と同一。
 別仙として画題となるうちに別の神として捉えられるようになった。


布袋和尚
 性別:男 国籍:中国
 留意点:脱俗の僧。(現在の中華文化圏では「弥勒菩薩の化身」とされている)


※ 異郷の神々〜周縁性(・異質性)

えびす  名称から見たその信仰 (20050621)

 「ヱビス信仰」と言ったときの「ヱビス」という名称は、三つのタイプに分けて考えられます。一つには「」の字で表される類のもの、また一つには「蛭子」というもの、そして「恵比寿・恵比須」等の字があてられるものです。そしてそれぞれが、ヱビス信仰の異なった側面を見せているように思われます。


 まず「夷」についてですが、これは昔中国で異民族を蔑んで呼んだときの[東西戎・南蛮・北狄]の下の漢字を、やまと言葉の「ヱビス」に宛てたものです。戎や蛮という漢字にも、エビスの訓があります。また、もともとヱビスという言葉は、大和朝廷の初期に異民族と考えられたエゾ−蝦夷からの転(訛)といわれ、その語意からこの漢字が宛てられたものです。(エゾ〜大和朝廷に服さず、奥羽以北に住していた民族。平安初期には同化。現アイヌではないと言う説有力。言語・風俗が異なっていた。)辺境、小島などに住む者達のことも、古くはヱビスと言いました。
 この語が示すヱビス信仰の側面は、境界の神・山の神・他界(海上など)の者−神的存在に対する信仰であり、この信仰の最も原初的な層をあらわしていると考えられます。


 次に「蛭子」(ヒルコ)についてですが、これは記紀の国生みにでてくる不具神です。イザナギイザナミが天御柱を回り交合するときに、先に(女の)イザナミが声をかけたので、(水)蛭子が生まれてしまいました。二神は、このいわゆる「できそこない(〜三年足立たずともいわれる)」を船に乗せて流してしまった、と言う神話に登場するものです。西宮の夷社の神体はこの蛭子だと言われています。類似の神話は世界各地でもあり、例えば台湾のパイワン族における、

 その昔、洪水で人々が流されてしまい、二人の兄妹だけが残った。二人は夫婦になり子どもを生んだが、盲で手足の片輪な子だったので捨ててしまった。

などという神話はかなり似ていると感じられるでしょう。天地(あるいは人間)の(再)創造、そこにおける男女二神、最初の子の不完全性→遺棄といった同質のモティベーションが見られるのです。
 他にも沖縄の、日神(ヒヌカン)の長子のできそこないの子をニライカナイへ流した神話(一部略)なども類似性を持つと思われます。貴種流離譚とも違っているのですが、なかなかに興味深いです。
 この蛭子という語が「えびす」と訓まれるのも、ヱビス信仰の境界性・他界性を表しますが、水−海との関連性、あるいは神道やその他の信仰と習合する面、反体制ではなく非体制といった側面、などを前者より強く表しているだろうと思われます。


 また「恵比須・恵比寿」というような語は、ヱビスが現在のような福神として定着して以降の(つまり比較的新しい)縁起の良い漢字を使った当て字です。
 この語の専ら福神としてのヱビスのあり方は、商業神・市場神としての側面を最も多く見せているでしょう。(大阪の今宮神社の十日戎は、字面こそ「戎」ですが、この三番目の側面の類型として考えられると思われます)

えびす  いくつかのかたち (20050622)

 ヱビス信仰の形を機能的な分け方で見てみましょう。信仰の三つの側面ときちんと重なる訳ではありませんが、大体次の三つの類型が認められると思います。a) 漁業神的ヱビス b)農業神的ヱビス c)市場神的ヱビス。また、a・bには来訪神的要素が濃く、b・cには屋内神的要素が濃いと思われます。そして三者ともヱビスの福神性を持ってはいますが、特にcにおいて機能分化した福神性が強いと考えられます。

a)漁業神的ヱビス

 豊漁祈願の漁業神としてのヱビスは現在でも各地に存在します。その御神体は、伝承として漂着神としてのものが数多くあります。海上他界からの来訪神としてのそれらのヱビスは、ほとんどが「石」の形態を持ちます。また、水死体(ドザエモン)をヱビス(サン・サマ)と呼ぶ地方がかなり多いのも、その異界からの訪問という視点で見なければ、説明がつきにくいのではないでしょうか。

 対馬の勝浦漁港のように、海に関係するところで黒不浄を徹底的に忌む場所でも、水死体=ヱビスは必ずすくい上げて帰らなければならないものとされているのです。つまりヱビスの浄不浄は、此岸的な世界の価値でははかり得ないものとしてあるのでしょう。(民俗学の研究の中には、ヱビスを鯨・イルカ・鮫等と直接結び付けて考えるものもあります。地方によっては確かにそれらをヱビスと呼んだところもあるのですが、それらが魚群を教えてくれるという機能的な見方をするよりも、それらのものの死体が、ちょうど人の水死体と同じように考えられた〜同じ性格を持つものとしてあったと考えた方が良いと私は考えます)

b)農業神的ヱビス

 東日本を中心に、ヱビスが内地あるいは山間部などで信仰されている例が少なからずあります。もちろんこれは西日本より後発のものと考えられ、夷舁(エビスカキ)・夷まわしのような宗教芸能者達が御札を配って歩いたゆえのものでしょうから、信仰の起源的面では語れませんが、決して無視できないヱビス信仰の側面だと思います。

 ヱビスはここでは「田の神」的扱いをうけます。また、主に中世以降の事例ですが、「山の神」と同一視される傾向も見られるとのこと。そしてこうした「田の神・山の神」の他聞にもれず、ヱビスもまた春秋に山と里、田と家を行き来する来訪神として信じられています。当然これには山中他界の観念も結び付けられているでしょう。

 農村のヱビスがらみの祭では、春秋二回のものが多くあります。その祭の際に、ヱビスに供える膳の食器の配置や箸の置き方が、日常のそれと正反対であるのはかなり注目すべきことで、ヱビスの表す周縁性〜価値の逆転の可能性を象徴するものであると思われます。(この農村のヱビス信仰を、あくまで海−水の関連性から捉えて系統づけようとして、このヱビスを水の神とし、そこから田の神へと持っていこうとする研究もありますが、私はそう考えるより、ここでも(他界からの)来訪神として遇されているヱビスの姿があり、その宗教的意味というものが、直接海のヱビスと呼応すると考えたいです)

c)市場神的ヱビス

 漁業神的ヱビスは豊漁を、農業神的ヱビスは豊作を祈願するものですが、市場神的ヱビスは「富」を祈るものであり、現在の福神としてのヱビス信仰に最も近いものであると言えるでしょう。農村でのヱビス信仰においてすでに屋内神のように扱われたヱビスは、ここにおいてほぼ今日的なその信仰の形態を整えていると考えられます。その分ヱビス信仰の原像からは隔たってきてはいるでしょうが、その信仰の中心的意義を失ってはいないでしょう。

 機能神として見れば、やはりヱビスは初めから福神であり、また江戸期に四民の最下層として位置づけられた商人が選ぶ神として、周縁の神−ヱビスは最もふさわしいものであったとも考えられます。

 特に呉服関係の商人達の間で、十月二十日を誓文払いの日(一種のバーゲンセール)としていたのは、農村の季節ごとの来訪神的ヱビスのあり方と考え合わせると、同質のものを思わせる事例だと思います。

参考文献
 宮本袈裟雄『民衆宗教史叢書 福神信仰』
 ※記録していなかったのでこれ以外ははっきりしていません。他に数冊読んで書いたものでした。