マスクの話

 ブックマークで見つけたんですが「マスクで風邪予防って実はあまり意味ない?」っていうツカサネット新聞の記事。それほど大仰なことも言っていないもので、マスクは風邪予防にあまり役に立たないよっていうそのまんまのことが書かれているものです。
 類話は毎年どこかで見かけるようなもので、個人的にはこの話題がでるとずっと昔に見たNHKの夕方ぐらいの科学番組(『レンズは探る』か『ウルトラアイ』か…)で、国立競技場のスタンドの最上段でスタジアム全体を映し、マスクのガーゼの穴がこのスタジアムの大きさだとするとウィルスはこれぐらい…とソフトボールか何かを見せていた画像を思い出します。(最近の不織布はガーゼを何枚も重ねたより穴は小さいのでしょうが)


 いえ気になったのは科学的正しさとかそういったものではなくて、

多くの方が風邪予防にマスクをしていると思いますが、実はあまり意味ないんですよこれが。

つまり、自分の顔にピッタリと完全に密着するマスクをつけないかぎり、風邪の予防にはならないのです。でもそんなマスクは、自分用に特別発注して作らない限りあり得ないでしょう。

 とか書いている内容でマスクをする人は風邪予防でそれをしていると何の疑いもなくそれだけ書いているなあというところです。そういう方は多いんでしょうか?
 私はマスクを風邪予防でしたことは一度もありません。
 私がマスクをするのは、自分が風邪をひいた時に周囲にかける迷惑を少なくしようと考えた時だけでした。まあそれでもウィルスの小ささというのは頭の隅っこにあって、これでも十分じゃないだろうなとも思いつつ少なくとも咳やくしゃみの飛沫が人に向かわないようにはできるだろうと。(後に、喉の乾燥も防げるとか何とか聞いてからはもう少し積極的にかけるようになりましたが)
 それから、記事の中で、

 ちなみに、欧米では、マスクをして外を歩く人なんていません。これは日本などアジアだけの文化なんです。

 なんて書いてあるのにも微妙にむかっとしましたね(笑)。文化とすればそれは気遣いの文化の程度の差だろうと。欧米では無意味だからマスクをしないなんて話はないだろうという話です。
 マスクに積極的な意味が無いのなら、何で外科手術などの場面で医師はマスクをするのでしょうか? あれが気休め以上のものだとしたら、最近は手術用マスクの機能をうたうようなマスクもあったはずですし、マスクをしない文化が当然で(あるいはいいものみたいに)言われるのは変な話だと感じたのでした。


 先日の『ためしてガッテン』特番でインフルエンザ予防の話題がありましたが、確かインフルエンザウィルスのほとんど空気感染にも近い飛沫感染の話がでていたはず。マスクをしていれば大丈夫だからと人の近くにいくのは間違った行為でしょうが、しようがない時にはせめてマスクをして咳やくしゃみで唾液の飛沫なんかが遠くへ飛ばないように気遣うのは悪い事じゃないと思いますけど。


 さてそうした唾液のことで思い出すのは、キスは不潔ではないか?なんて考えてた若い頃のことです。でもよくよく考えてみると、唾液が汚いものならばそんなものを口に入れていてなんで平気なのかわからなくなってきますよね。血が穢れているならばそんなものが体中を走るのは当然不快なはず。でもそれは気にならないなんて…。
 この件については大学に入ってから確か阿部謹也氏の本を読んだときに、「外部に出た体液が穢れとして認識される」云々の話があって、そうだったのかと目から鱗が落ちた気がした思い出があります。で、恋人同士のキスは(最初からディープなものしか考えてなかったのですが 笑)あれは「うち」の存在に恋人がなっているからセーフだったのかとその時思ったものです。
 後に名著と言いますかメアリー・ダグラスの『象徴としての身体』を読んで、内部とか外部、そしてシンボリズムなど奥深いなあと認識させられました。「内部と外部の境界を強く意識する社会では、人々は身体の開口部(肛門等)に敏感になり、髪の毛、排泄物、血液等が呪術的意味をおびることになる…」なんてシビレましたね。


 文化的スタイルとしてマスクを考えるのはいいのですが、単に欧米では云々とか枕詞のように使って欲しくないなあと、そういう感じで先の記事を読んだのでした。