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 厳戒続くチベット きょう動乱50年 中国当局 統治を自賛

 【康定県(中国四川省ガンゼ・チベット族自治州)=平岩勇司】チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ十四世の亡命につながったチベット動乱から十日で、五十年を迎える。中国当局は「共産党チベットを解放した」とキャンペーンを繰り返す一方、チベット族居住地域では、鎮圧訓練を行うなど緊張が高まっている。


 国営中央テレビや共産党機関紙の人民日報は連日、「共産党チベット封建制を打破し、百万人の農奴を解放、今日の経済発展をもたらした」と共産党の統治を自賛する記事を掲載している。

 中国語を覚えないと社会進出は難しくなり、チベット族の間でも格差が生まれた。チベット仏教の信者は寺院に行く曜日を制限され、民衆が慕うダライ・ラマを否定する「愛国教育」が続けられる。


 チベット民衆の不満を理解している当局は、昨年三月に暴動が起きたチベット族居住地域に数万人の警官を動員。外部と連絡が取れないよう一帯のインターネット通信を遮断し、取材に来た外国人記者も追い返している。(後略)
 (東京新聞 3/10)


 ⇒「チベット動乱」から50年、これまでの足どりAFPBB
 ⇒ダライ・ラマ逃避行の護衛兵士、50年前のチベット闘争を語るAFPBB


 以下はチベット動乱から10年後の中国支配下チベットの様子。

 ラサの若者たちが処刑されたのはそのほぼ一年後だった。私はコンポで働かされていたので直接の目撃はしていない。だがそれを目撃したラサの大多数の人たちにとっては、とても酷く忘れられない事件だった。彼らはニェモの人々がかつてされたよりもより残虐に死に追いやられた。
 処刑会場に連れ出される前に、彼らの両手はあまりにきつく縛られていたため両肩は脱臼していた。両目の眼球は飛び出さんばかりで、顔面は異様なぐらい腫れ上がっていた。彼らの舌は裂け、口や眼窩や鼻腔からは血が滴っていた。処刑場にたどり着く以前に受け続けた拷問の所為ですでに息をしていない人もいたそうである。これはまったく人には聴くに耐えぬものであり、見た者にとっては語るに耐えないものであったそうだ。
 それでもなお、彼らの両親、兄弟たち、そして祖父母たちは刑場に来て処刑を見ることを強いられた。処刑が終った後にはすべての市民たちのために集会が開かれ、特に(処刑された)若者たちの縁者、愛する子供たちが拷問され処刑されるのを見続けさせられたその人たちは、当局に対して処刑してもらったことを感謝しなければならなかったのだ


 彼らが言わされた公式の言葉には「これら今日の反革命分子たちは共産党、国家、そして人民に背くという憎むべき罪を犯した。彼らが処刑されなければ大衆の怒りは満足しないであろうし、私たちは大衆の要求に従って彼らを処刑したのである」という部分があり、このように彼ら処刑者たちの残酷な犯罪への不満は、弁明の機会が与えられない普通の人々に転嫁されたのであった。
(Memories of life in Lhasa under Chinese rule, p.223)

(⇒■中国支配下のラサでの生活の記憶