天国の処女(妻)
⇒ニートのあした「エクスタシーのない占拠なんて。。。ルーだいの友へ」
テロリストたちが何にこんなにも高いモチベーションを与えられているかということについては、みんな聞いたことがあるよね。天国には72人の処女が待っていると聞かされてるからっていう話だ。そういうテロリストにとっては、それはとても楽しみなことだろう。
(間)
そこにいる処女たちにとっては、天国ってのは思ってたようなところとはちょっと違うんじゃないだろうか? 俺が子どもで、こんなことを言われたらいやだな。
「良い女の子になりなさい。いつもブルカをかぶり、いつもベールを身に着けなきゃいけないぞ。学校には行かせない。就職はさせない。読み書きは学ばせない。投票はさせない。車は運転させない。歌うのも、踊るのも、ゲームをするのも、音楽を聴くのもダメだ。お前は完全な屈従と禁欲の一生をおくるのだ。そして死を迎えたら、天国に行くだろう??(間)そこでお前はテロリストのための性奴隷となるんだ」
いや、もしここで言われているのがイスラームのことだとするなら、これはまるっきり勘違いですね。
これ(先頭に立つ一群の人々)こそ(玉座の)おそば近くに召され…
…金糸まばゆい臥牀(ねだい)の上に、向い合わせでゆったりと手足伸ばせば、
永遠の若さを享けた(お小姓たち)がお酌に廻る。
手に手に高杯、水差し、汲みたての盃ささげて。
この(酒は)いくら飲んでも頭がいたんだり、酔って性根を失くしたりせぬ(天国の酒は現世の酒のごとき粗悪品ではない)。
そのうえ果物は好みにまかせ、鳥の肉など望み次第。
目(まなこ)すずしい処女妻は、そっと隠れた真珠さながら。
これもみな己が(善)行の報い。
もうそこではくだらない馬鹿話も罪つくりな話も聞かないですむ。
次に右組の人々、これはどうかと言うに、
刺なしの灌木と
下から上までぎっしり実のなったタルフの木の間に(住んで)、
長々と伸びた木蔭に、
流れてやまぬ水の間に、
豊富な果物が
絶えることなく、取り放題。
一段高い臥牀があって(そこで天上の処女妻たちと歓をまじえる)。
我ら(アッラー)が特に新しく創っておいたもの、この女たちは(地上の女のように両親から生まれたものでなく、この目的のために特別に新しく創った女である)。
特に作った処女ばかり。
愛情こまやかに、年齢も頃合い。
右組の連中の相方となる。
(井筒俊彦訳『コーラン(下)』岩波文庫、pp.168-169。「五六 恐ろしい出来事 −メッカ啓示、全九六節−」 強調は引用者)
天国の処女妻は神によって新たに創造された存在ですから。
蛇足ですが、こういう妙な記述でムスリム社会に対する偏見が助長されるということは望ましくないと思います。