反応と人格

 ハイビジョン特集「復活した“脳の力”〜テイラー博士からのメッセージ〜」
 NHKスペシャル「私の声が聞こえますか〜植物状態からの帰還〜」
 と、録画しておいた番組を昨日視聴。
 続けて見た感想として一番のものは、人は反応が返ってこない(ように見える)相手、言葉を解さない(ように見える)相手に対してしばしば「人格」を認めないものだということでした。(もちろん家族や一部の医療者は違っていたでしょうが)
 この構図は取りも直さず(機械的にでも)反応が返ってくる相手に「人格」を認めてしまうもの、というチューリングテストの裏返しの構図ではないかと思えます。
 これは、相手の人格(そのもの)・精神(そのもの)は直接的に認識できないということで、言い換えますと、人に対峙する相手の人格は、反応や対話可能性によってその本人の側から付与する形になっているということの「弱点」ではないかと考えます。「植物状態」みたいに言われ、ほとんど反応がないために内面は無いと思われていた患者の女の子が、両親から差し出されたキーボードで「かえるの合唱」を弾いたシーンには思わずもらい泣きしてしまいました。
 すべての「植物状態」の患者さんが早晩回復できるというような楽観的な見方はできないのでしょうが、無反応の奥に存在する人格といったものを第三者も容易に想像できるような状況が広まれば、いえ広まらなければいけないなあと思えたのでした。


 ちなみに「テイラー博士」の番組は4月2日(木)に再放送もあります。脳科学者の女性が脳卒中で倒れた経験を語る興味深いお話で、特に左脳が障害を受けて論理的思考や言語が失われた時に彼女が何を考え何を感じたかというところは、非常に含意のある面白い内容でした。
 話題になっているその著書「My Stroke of Insight」(→AMAZON)は、早晩日本語訳も出ると思いますが、先にペーパーバック版を買ってしまおうかと今考えているところです。