名を愛する

 自分の名が上がる、評判になることに対する欲求は誰にもあることかもしれませんが、できるだけそれに執着しないようにすることが落ち着いて暮らすためには必要なことだと思います。功名心・名誉欲は世の中の動因として必要なものだとも考えますが、一般論を離れて一人一人を見ると、それに執着するために自分の誤りを認めることができなかったりなど弊害もしばしば見られるもの。
 虚名を求めるために自分が変わる契機を失うなどというのは、長い目で見ると損失になるだろうとすぐにもわかりそうなものですが、たぶん目の前の事に熱くなって反射的に自分をも偽ってしまうということなのだろうと。

 愛名は犯禁よりも悪し
 犯禁は一時の非なり
 愛名は一生の累なり
 おろかにしてすてざることなかれ
 くらくしてうくることなかれ
 うけざるは行持なり
 すつるは行持なり
(『正法眼蔵・行持』)

 功名に愛着することは戒律を破ることよりも悪いと道元は言います。それは一生の禍根だとするのです。それは他からなかなか見えない自分の心の中のことであるがゆえに、じわじわ自分の姿を枉げていってしまうものだということだと思います。むしろ指弾される禁を犯すという行為は、そこで謝ったり悔いたりできるので禍は相対的に少ないと考えられていたのでしょう。
 名は捨てるべき時にはためらいなく捨てて、自分に不相応だと思えたら受けてはいけないと道元は続けます。功名心に迷うことなく、虚名を受けないことが修行であるし、名を捨てることも修行であるとするこの言葉は、ともすれば格好をつけてしまい、なかなか自分の非を認められないこともある自分にはずっと課題になると思われます。
 ただ自分で問題なのは、本職のほうで名誉欲がとんと湧かなくなってしまっていることでして、それはそれで大事なモチベーションを無くしてしまって大変だなあと(他人事みたいに)ここ数年思っていることです。まあエイジングの所為かと思うのですけれども…