事業仕分けに一言

 政府の行政刷新会議が行っている事業仕分け。もちろんこれが最終決定ではないということでスルーしてもいいのですが、あまりに見苦しく感じたのでちょっと書いておきます。
 今までの無駄を洗い出す、これはまあ結構でしょう。拙速でも議論ができることに意義がある、という意見にも一理あると思います。
 ただ、こうした事業仕分けに必要とされるのは議論であって、報道で目にするあれは冷静な議論とは言い難いもの。大事なのは理詰めの説明と質問でしょう? メディアが殊更興奮するところを好んで切り取るとはいえ、仕分け人とされる国会議員や有識者?たちの妙なテンションはいったい何なのかと気持ちが萎えます。むしろ時間が無いのなら、少々激してしまったらそれを抑える幕間を取るぐらいにしないと折角の議論の機会が無意味になってしまうんじゃないかと感じるのでした。
 またこれが最終決定ではないということが明らかなのにも拘わらず、その「仕分け人の評決」とかでこれは廃止、これは縮小、これは移譲…と断じて見せるのにも賛成できません。もちろんこれは原型の「仕分け」とやらのコピーなのでしょうが、最終的に決定するのは「政治」なのでしょう?
 決定する=責任を取る者が「多数決で決まったから」なんて後で言い出しかねないと危惧します。密室だろうが公開だろうが、見聞きしていてわからないところはこちらにはあります。一般の目に触れるかどうかよりも、これこれを止めたということについてはっきり「政治」が責任を取るのならそれでいいと自分は考えるほうです。わけのわからない最終決定者でもない人たちの多数決なんて間に挟むと、結局誰が責任をもって中止なり何なりするのか曖昧になりはしないでしょうか?(これが杞憂なら結構なのですが…)
(それと、これは事業仕分けをしている人たちへの文句ではないですけど、最終決定ではないといいつつメディアの報道は「こども未来財団基金返納」「農道整備事業は廃止」云々とあたかも決定事項のように報じられますよね。こんなところで決まった感を醸成されたらたまったものではないと思っています)
 鳩山総理は「利害関係者はひどいと思われるかもしれないが…」などと言っていましたが、利害関係者ではない私にもひどいと言いますか「公開つるし上げ」に見えました。議論というより法廷ごっこのような感じ。


 将来性がはっきりしないとか、十分な効果が出ているとは思えないとか、そういう話で切れるなら大概のものはネガティブなところに落とし込むことはできると考えます(かなり限られた時間ですし)。だからこそ結論ありきの…なんて言われてしまうんでしょう。
 だったらむしろ「どうせ切ろうと思ってるんだろう」と邪推できないところのものを正々堂々俎上にあげたらいいんです。
 たとえば「子育て支援」とか「アフガニスタン支援」とか、そういうところのものをあの場に挙げたって、十分な効果が見込めるとは思えないとかで絶対「廃止」や「見直し」ができますよ。
 財務省が主導して俎上にあげられている447事業を全部止めたところで、数千億円そこそこ。財団法人の基金を返納させたり特別会計の剰余金など6202億円を加えても最終効果は9千億円規模という報道もありましたが()、アフガン支援だけでその5割以上。子育て支援を止められたらまさに桁が違うわけです。
 少なくとも赤字国債を減らすという目的には遙かにかなった意味あるものだと私には思えるのですが。
 せめて「今回限りの過渡的な措置」()なんて言う前に、公明正大なものであったと何か納得させるところを見せていただきたいですね。


 7分間の「事業説明」で担当職員がアピール。5分間の「査定説明」で財務省主計局幹部が説明。40分間の仕分け人による質疑を経て、3分間で「評決」。で、事業評価シートに要不要を記載…
 切るならここらへんでどうぞ、ぐらいの感じで財務省に選ばれた?事業に評価を下して評決するのだとしても、やり方はあろうと思うんです。少なくともそれは大向こう受けを狙った過激な言葉で決めつけるのでも、興奮した感情に動かされて決を採るのでもなく、もっと落ち着いた議論から生み出すべきことのはずです。
 民主党に賛否いずれの人もこの事業仕分けは注視しているはずです。心ある人に目を背けさせるようなパフォーマンスでは、民主党にとっても百害あって…となってしまうと考えるのですが。