科学政策パラダイム
「商業的な製品の応用・改良は行うが、オリジナルなものは出せない国」という評判は、ちょっと聞くとまた月並みな日本論か…と思ってしまいそうになりますが、実はこれ第二次世界大戦以前アメリカ合衆国に対する評価だったそうです。先の大戦以前は基礎研究をもっぱらヨーロッパが引き受け、後発国アメリカからはたとえば科学先進国ドイツへの留学が1880-1890年頃ピークに達していたとのこと。
…この国は、技術を開発する能力を備えてはいたが、それは決して独自な技術といえるような性格のものではなかった。すぐれていたのは、技術革新の効果的なマネジメントと、企業の活動へのその統合であった。生産やマーケティング面でのわずかな優位をうまく活用して、急速に成長している市場での有利な地位を切り拓いていったのである…
(ブルース・スミス『戦後アメリカの科学政策』より、今世紀初めまでのアメリカについての記述)
この状況が大きく転換したのが第二次大戦期であって、そうした転換の過程を医学・生命科学分野に焦点をあてて略述していたのが広井良典『遺伝子の技術、遺伝子の思想 医療の変容と高齢化社会』中央公論社、という本でした。
この本の中で広井氏は、MIT留学当時の共同研究者であった科学政策の国際比較研究を専門とする弁護士のジョージ・ヒートンによる四つの政策パラダイムというものを紹介しています。
科学に対する四つの政策パラダイム 1.科学立脚型パラダイム …「サイエンス」としての基礎研究こそが勝負を決めるものであり、 応用・開発はおのずとマーケットにおいて発展していく。したがって 政府としては何よりもリスクの大きい基礎研究に、しかも大規模な投資 を行うべきであり、後は民間企業にまかせておけばよい 2.商業化パラダイム …製品の市場での強さを決めるのはむしろ応用・開発の部分にある (たとえば自動車産業における燃費の向上)。したがって、政府は補助金 や融資、税制を通じて民間企業における応用・開発研究の支援を行うこと が競争力強化にとって有効である 3.起業家パラダイム …シュンペーターをまつまでもなく、経済発展の原動力は技術革新に あり、その何よりのルーツは起業家である。それを体現しているのが ベンチャー企業であり、政府は税制や融資等を通じてそうしたベンチャー の育成、保護に力を注ぐべきである 4.共同型パラダイム …過度な競争はむしろ弊害を招く。また、異職種交流等によって新たな アイディアが創発される。したがって、政府は一種のコーディネーター役 となり、研究開発における企業間の共同・協調関係を促進し、これを通じ て技術革新を促すのが妥当である (ジョージ・ヒートンによる)
戦後のアメリカは1および3のパラダイムを、そして日本は対照的に2および4のパラダイムを採用してきたという傾向は確かに言えると思います。でもそのアメリカにしてもかつては2・4のパラダイムで動いていたわけで、こういう政策の転換は実現可能なものであるのは確かです。
自民党政権が交替し、工学部出の首相を担ぐ民主党が政権をとったとき、もしかしたら日本も2・4のパラダイムから1・3の方向へ変わるのではないかと期待した方々もいらっしゃったのではないかと思います。
しかしながら、今のところパラダイムシフトどころか科学に対する政策の基本的な方向も見えてこない。むしろ目先の財源獲得(とパフォーマンス)のために、基礎研究や若手の科学者に対する出費をどんどん削っている状態にしか見えません。
基礎研究分野の成果は「公共財」のようなものです。大国アメリカが経済的優位を謳歌していた頃はこの基礎研究分野に惜しみなく資金を投じ、その成果を日本や他の国が享受することにとても寛容でした。しかし状況は変わり、90年代あたりからさかんに「基礎研究ただ乗り論」がアメリカから聞かれるようにもなり、日本も経済力にあった規模の国際公共財の負担、つまり基礎研究への投資が強く求められるようになってきたのだと広井氏は論じられます。
基礎研究はすぐに目に見えてリターンが出てくるものではありません。また分野によっては産業的リターンが最初からほとんど望めないものも少なくないはずです。だからこそ、寛容な旦那がいなくなって来た現在、それを国が後押しすること(1のパラダイム)が重要になってくると思うのですが…
蓮舫議員のような方が表にでているうちは、民主党が科学立脚型パラダイムに向かうのは不可能に思えてきています。
そしてもちろん、金にならない理系分野よりもっと産業に縁のない文系分野は推して知るべしといいますか、何年か先には学問分野として成り立たなくなってくるかもしれませんね。