障碍は他人事ではなくて…

図

 障碍者はどうのこうのと他人事のように話すことはできません。どうも障碍というと先天的なものがまずイメージされてくるようで、そうなると自分とは関係ない一部の人のもの…という発想が強くなってしまいがちです。
 しかしながら平成18年の厚労省の調査で見ても、その三分の二は40歳を越えてからのもの(身体障害・在宅)となっています。つまり今、40歳未満で障碍なんて他人事と思っている人が今後障碍を持たないとは言い切れないのです。
 障碍を持つ人のこれだけの割合が中高年以降に認定されているということは、少なくともそれが自分には関係のない一部の人のものとみなすことはできないということを意味しています。
(右図は「障害発生時の年齢階級」です。水色の部分が40〜64歳 38.2% 濃い紫が65歳以上 24.3% となっています)


 結局、障碍者排除みたいな発想は他人事だからでてくること。
 この調査結果をよくよく見れば、それは自分で自分の首を絞めているようなものだとわかるはずです。


 どうか皆が落ち着いて考えて、わがこととして障碍のことを考えるようになって欲しいものです。
 年末の最後に、これだけは書いて置こうと思いました。

辺野古は生きている

鳩子:ああ、どうしたらいいのかしら? こんな大晦日の暗い森で、どうやって探せばいいのかしら?


十二月:どうしたのかね?


鳩子:あら、おじいさんこんばんわ。私ね、捜し物をしなければならなくて困っているの。


十二月:ほう。こんな大晦日の寒い暗い森の中で何を探すというんだね?


鳩子:新しい場所。


十二月:新しい場所?


鳩子:そう。県民の思いや公約、そして何より三党合意に沿った、しかもなおかつアメリカを説得できるだけの移設先を。


十二月:グアムじゃ駄目なのかね?


鳩子:グアムじゃ駄目だわ。だって米軍の抑止力の観点からすべてを移設させるのは無理があるのではないか?


十二月:そうか(変な子だな…)。ちょっと待っておれ。 四月よ!


四月:お呼びですか。


鳩子:(あらイケメン…)


十二月:この子が新しい移設先を探しているというのだ。何とかしてやってくれんかね。


四月:は? マツユキヤスコではなくて新しい移設先ですか? それは私にはちょっと…


十二月:なんじゃ頼りない。 そうだな…皆も来てくれ!


(一月から十二月の精が全員登場。皆で輪になって思案投首)


十二月:ふむ、ふむ。そうじゃな…


四月:ですよねー。


(四月の精が皆を代表して鳩子に近づく)


四月:おじょうさん。


鳩子:しくしく。何かいい場所はあって?


四月:私たちから歌をプレゼントしましょう。


鳩子:歌?


四月:そう。あなたがずっと心の中に暖めていた歌を。そしてこの歌があればもう何も悩まないで済むのです!


鳩子:まあ。 …でも何で私の心の歌がわかるの?


四月:それはね、お嬢さんが自分で言っていたことだからですよ。 それではご一緒に…


一同:辺野古は 生きている
   風だって 雲だって 
   小川の せせらぎだって
   生きている


   辺野古は 生きている
   氷に とざされた
   マツユキヤスコだって
   生きている


   森と 空を
   私は 見た
   生きている者たちの
   笑う声 話すことば
   燃えている火よ あふれる力よ


   辺野古は 生きている 


   辺野古は 生きている


 (幕)


 ⇒首相「当然、辺野古は生きている」 普天間の移設先検討(12/04 NIKKEI NET)

 鳩山由紀夫首相は4日午前、沖縄の米軍普天間基地の移設問題について「ほかの地域は無いのか、ということは前々から言っている」と述べ、日米が合意した同県名護市辺野古キャンプ・シュワブ沿岸部以外の候補地を検討していることを明言した。同時に「当然のことながら辺野古は生きている」とも述べ、現行計画も引き続き検討対象だと表明した。首相公邸前で記者団に語った。

 首相は「岡田克也外相は嘉手納と言っていたが、そういうことも含めて、今検討している」と指摘。沖縄の米軍嘉手納基地への移設も検討対象として認めた。米国のグアムに関しては「ほかの方から出ている話だと思う。私からそれを検討しろと言ったわけではない。米軍が期待しているかどうか、抑止力ということで認められるかは別の問題だ」と慎重な姿勢を示した。(後略)

 意外にも(というと失礼ですが)、割に初期の段階から抑止力というキーワードは出して考えていたんですね。だからといって、二転三転した揚げ句に辺野古は生きているでは、もうどうしようもないと思うのですが…

教皇のミサでの事件

 言うまでもなくクリスマス(Christmas)はキリスト(Christ)のミサ(Mass)から来た言葉で、ミサは聖体祭儀です。それは神に祈りを捧げ、福音(聖書の言葉)が朗読され、(説教を聞き、)ワインとパン(聖体〜キリストの血と肉)が拝領され、お祈りで終わる儀礼です。
 カトリックの司祭は毎日ミサを立てることが義務づけられていますが、信徒は主日(日曜)や祭日にミサに与り、クリスマスはキリストの降誕祭としての祭日のミサを指します。


 さて今年のバチカンのサンピエトロ大聖堂でのミサにおいて、ローマ教皇がいきなり女性に飛びかかられるという事件が起きたそうです。
 「ミサで女性にノックダウンさせられたが教皇は無傷」Pope Unhurt After Being Knocked Down by Woman at Mass NYTimes)

 ヴァチカン警察は女性を取り調べのために拘束し、(同じく倒された)エチェガレー枢機卿はエマージェンシールームで診断を受けているとANSA(イタリアの通信社)は述べている。またANSAはその女性には「なんらかの悪意」があったのでは無い模様とも報じた。

 
 バチカンの報道官は木曜日、クリスマスイブのミサを始めるためにサンピエトロ大聖堂の主通路を歩いてきた教皇ベネディクト16世に「(精神の)バランスを欠いた女性」が障壁を乗り越えて飛びかかり、引き倒したと語った。
 しかし教皇は素早く立ち上がり何千人もの会衆の前でミサを執り行った…

 とんだハプニングですが、82歳の高齢の教皇にお怪我がなくてなによりとも思います。記事中では「昨年教皇が大聖堂を出ようとした際に突っかかってきて止められた女性と同一人物かは不明」などともあって、結構そういうことがあるということですね。


 精神の平衡を欠いた女性による突発的な出来事という線で大事にはされないと思われますが…

新型インフルエンザワクチン接種しました

 月に一度通院しているんですが、突然医師から「新型のインフルエンザワクチン接種希望しますか?」と話があり、「急な話で今日の午後○時なんですけど」「あと枠が一つなんですが」とかなり唐突な振り。
 どうも自分も知らずに基礎疾患持ちの高リスク患者の範疇に入っていたらしいのでした。とはいえその医師もはっきり認識していたわけではなさそうで、国のやることはよくわからない、急にワクチン回してくるし…などとつぶやいてもいました。
 自分もそんなに危機感を覚えていたわけでもなく、「もっと他に接種した方がいい人がいたらそちらに…」とか口にしたのですが、「急だと来られませんか?」みたいに言ってくるので「たぶん大丈夫ですけど」と答えたところ「○時の20分ぐらい前に来て下さい。問診票を書いていただきますんで…」と決定。


 優先枠に入らなかった一般の人への接種もそろそろ開始とは聞いていましたが、まだ接種できないでいる子供や幼児の話も耳にしていましたので、自分が打っていいんだろうかとちょっと逡巡しました。
 でもこういう具合に急に話が来たのは、もしかしたら…と頭に浮かんだのは例の10mlバイアル瓶のこと。パーティーサイズのこの瓶でワクチンが来たら、最初に使って24時間以内に20人弱に使い切らなければ棄てるしかない。無駄が出てしまいがちなそれが来たのでとにかく接種する頭数を揃えなければ、ということになってるんじゃなかろうかと…。


 幸い通院のため休みを取っていたので、ほとんど問題なく午後に再来。体温を計って問診票に記入して右腕にチクっとして3600円払ってお終い。(そういえば打ちますかと聞かれた時もお金のことは言ってなかった…だまされた!笑)
 バイアル瓶なんか無いだろうか、あったら写真にと思ったのでしたが、小分けにして診察室に持ってくるようでそれらしきものはありません。でもはいと渡された予防接種済証に書いてあったメーカー名は「化血研」。まず間違いなく大瓶で来たものだったのでしょう。


 でも本当にインフルエンザの予防接種は小学校とか以来になると思いますが、当日風呂に入っちゃいけないんだったっけ?でもお医者は何も言ってなかったし…などと少しどうして良いものか困惑気味になりました。
 ネットで検索して「インフルエンザ予防接種ガイドライン」を見ると、接種一時間過ぎたら入浴等も問題なしとのこと。子供のころの常識?とかあてになりませんね。


 さて、今回はわけのわからぬうちにワクチン接種ということになりましたが、積極的に希望したものではなかったので良かったのか悪かったのかどうも釈然としません。リスキーだと判断されていたんですから受けて悪かったということでもないでしょうが、その連絡も含めてもっと混乱せずに情報が回っていたらと考えないでもありません。ぜひ接種したいと考えてまだ果たせずにいる人たちのことを頭に浮かべても、単純に得をしたとは思えないんですね。
 国会審議の話題でしか知らなかった10mlバイアルの問題、そのわやくちゃが結局直接自分にも関わってきたと思うと妙な気分でもあります。


 余談ですが、メディアなんかでもう「インフル」呼ばわりが定着してきたようで少々げんなりです。どうも慣れません。どうせ略すなら「フル」にしてしまえばそのままでいいのに、と思ってしまいます。何か中途半端なんですよね。

哲学・思想系諸学会による行政刷新会議への意見表明

 文科省パブリックコメント行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せください)および主要新聞社などに送られた「哲学・思想系諸学会による行政刷新会議への意見表明」を引用します。

哲学・思想系諸学会による行政刷新会議への意見表明

 平成21年12月1日

 税収の大幅な減少が見込まれ、国家予算の適正な構成が望まれる中、行政刷新会議の「事業仕分け」が、予算編成のプロセスの透明化と実効性のある資源配分を目指し、多くの成果をあげていることに敬意を表します。 しかしながら、大学での研究・教育に関する予算に関しては必ずしも的を射た論議が行われないままに、見直しや予算の縮減という決定がなされたと考えます。
 私ども哲学・思想系の諸学問領域の諸学会は、大学をはじめとする高等教育や研究機関の基盤的経費と競争的研究資金、及び次世代育成支援の経費が縮減されることなく、むしろ拡充されるよう、政府に強く要請します。
 哲学・思想系の学問・教育は、人類が蓄積した叡知を現代社会に生かし、さらに次世代以降の人々に継承していく責務を負うものであり、国民社会の基礎を形作る営みの欠くべからざる一翼を担っています。その存在意義は日本文化の底力の育成に関わり、表面には現れにくい地道な研究・教育活動の積み重ねによってこそ実現されていくものです。とりわけ、それがどのような効果をあげているかについては、長い時間的経過を視野に入れて、多元的な評価尺度を用いて見積もられねばなりません。
 わが国が成し遂げた未曾有の発展は、基盤的な研究・教育への長期的な投資の成果に他ならず、現時点でこの投資を軽視することは、次世代の人材確保と将来の社会の発展に大きな損失をもたらしかねません。
 以上のことを念頭に置きますとき、この度の「事業仕分け」において、若手研究者育成資金や研究推進のための競争的資金の大幅な縮減が求められましたことは深く憂慮される事柄です。大学や研究機関における研究・教育活動はこれらの資金によって支えられてきました。特に、わが国の学術振興関係予算はこれまで理工系のビッグサイエンスを中心に措置されてきたため、人文・社会科学系の財政事情は現在でもすでに危機的状態にあり、その上これらの資金が大幅に縮減されるとすれば、日本の哲学・思想系の研究・教育に甚大な打撃が加えられることになりかねません。
 哲学・思想系の諸学問領域においては研究者の人材育成に長い時間を要します。大学院における研鑚が決定的に重要であることは言うまでもありませんが、大学院博士課程修了後もさらに広く深く力を養っていく必要があります。このことは世界的にも認識が深まっており、各国で博士課程修了後の研究者育成プログラムが充実されてきておりますが、日本の場合、その体制はようやく整い始めてきている段階です。
 競争的研究資金につきましても若手をも含めた共同研究はこの間に次第に増加してきてようやく効果を上げ始めてきたところであり、それなくしては今後の質の高い研究・教育の継続は著しく困難となりましょう。近隣諸国と比べても、近い将来における哲学・思想系の諸学問領域における国際競争力の大幅な低下が懸念されます。
 政府、国会議員、及び政策立案・予算案作成に関わる方々におかれましては、国民社会において哲学的・思想的な構想力がもつ意義を適切にご理解いただき、日本ならではの国際社会に対する学術的貢献がなされますよう、中・長期的視野に立って高等教育・学術研究推進のために財政的な支援を強化されるよう強く要望いたします。


 日本哲学系諸学会連合代表  竹内整一                             
 日本宗教研究諸学会連合代表 星野英紀
 藝術学関連諸学会連合  西村清和


加盟諸学会


 日本哲学系諸学会連合:
日本印度学仏教学会、日本宗教学会、日本中国学会、日本哲学会、美学会、日本倫理学


 日本宗教研究諸学会連合:
印度学宗教学会、京都宗教哲学会、キリスト教史学会、「宗教と社会」学会、宗教倫理学会、神道史学会、
神道宗教学会、宗教哲学会、宗教法学会、筑波大学哲学・思想学会、日本印度学仏教学会、
日本オリエント学会、日本旧約学会、日本基督教学会、日本近代仏教史研究会、日本山岳修験学会、
日本宗教学会日本新約学会、日本道教学会、日本仏教綜合研究学会、パーリ学仏教文化学会、
佛教思想学会、佛教文化学会、豊山教学振興会

 藝術学関連諸学会連合:
意匠学会、国際浮世絵学会、東北藝術文化学会、東洋音楽学会、日本映像学会、日本演劇学会
日本音楽学会、日本デザイン学会、日本民俗音楽学会、比較舞踊学会、美学会、美術科教育学会、
美術史学会、舞踊学会、広島芸術学会、服飾美学会


 必ずしも金銭的リターンが見込めない分野(というよりほとんどそうしたものとは縁のない分野)なのですが、文化価値というものを信ずるとすれば、余人をもって代え難いそうした価値の継承という意味でこれら諸分野の衰退・縮小は後々の大きな禍根となると考えます。
 人によっていろいろな立場もありましょうが、こういうアピールは考える材料として人目にふれたほうが良いと思いますので、ここに引かせていただきました。

こうのとりのゆりかご(最終報告書)

 熊本市の慈恵病院で行われている「こうのとりのゆりかご」について検証する有識者会議が蒲島熊本県知事に対して最終報告書を出したというニュースがありました。
 今までこの会議は二度ほど運用状況に関する中間報告を出していて、それは熊本市のサイトの「トップ>くらし・環境>子育て> 」の階層に、「平成20年度「こうのとりのゆりかご」の利用状況について 」「平成19年度「こうのとりのゆりかご」の利用状況について 」というように公開されています。(過去記事1過去記事2
 現時点で熊本市熊本県のサイトにこの最終報告書はアップされていませんが、いずれ近いうちにpdfファイルなどの形で公開されることが期待されます。詳しくはそれを見てからなのですが、今回の最終報告書についての報道では「倫理的劣化懸念」などといった表現が強調され、その存在自体を倫理問題として懸念する側面の報告であったような記述が…。


 最終報告書で正確にどう表現されていたかは確かめなければなりませんが、少なくともここの部分だけを強調して「こうのとりのゆりかご」を評価するのは的外れであると言わざるを得ません。
 倫理的に劣化する云々というのはゆりかごに子供などをつれてくる保護者に対して言われること。しかしこのゆりかごの存在意義は、つれてこられ置き去りにされる幼児・子供たちのためにあります。ゆりかごがあっても無くても遺棄され、もしかしたら生死の危機に陥るかもしれない子供たちがいると考えられて、そういう子供たちを救うための「こうのとりのゆりかご」なのですから保護者がどうのというのはあくまでも二義的な話でしかないのです。
 すべての人が善人になれば極端に犯罪行為は無くなるでしょう。でもその理想の状態に社会を変えることができないので、犯罪予防や法的処罰、補償や救済がシステムとして考えられているのです。精神棒で根性を注入しようが、軍隊的組織で鍛えあげようが、そんなものでオール善人の理想の社会なんてやって来ないというのは当たり前の話。「こうのとりのゆりかご」が無ければ子を捨てたり殺したりする保護者がいなくなるというなら別ですが、発想としては「子供救済」が主眼のこのゆりかごに対して親の倫理がどうこうという話は基本的に「ずれた」ものでしょう。


 親などの保護者が、一人残らず困難に耐えて子供を育てるという倫理的成長を遂げるのが(社会的コストの点からも)最も望ましいことは言うまでもありませんが、それを直接行うすべが無い時、どうしても犠牲になりがちな子供たちを一人でも多く助けようという試みは有意義なものだと私には思えます。
 さて、民主党は「子ども手当て」という形で子供を持っておくインセンティブを与えようとしていますが、それが施行された後、どれだけ「こうのとりのゆりかご」の使用人数が減るものか興味深く見続けようと思っています。


赤ちゃんポストで倫理観劣化懸念 検証報告書が指摘共同通信

 親が育てられない子どもを受け入れる慈恵病院(熊本市)の「赤ちゃんポストこうのとりのゆりかご)」に関し、運用実態を検証する熊本県などの有識者会議は26日、幼児や障害児の預け入れがあったことなどを受けて「社会的に『倫理観の劣化』を懸念せざるを得ない」と指摘する最終報告書を公表し、蒲島郁夫知事に提出した。

 報告書によると、4〜9月に9人の預け入れがあり、2007年5月のポスト設置後の合計は51人となった。幼児が2人、障害児は複数いた。身元が判明したのは39人で、うち7人は親元に戻った。

 預けた理由は「戸籍に入れたくない」8人、「生活困窮」7人、「不倫」5人、「未婚」3人。ほかに「養育拒否」や「親の反対」などがあり、不明は14人だった。(後略)

「倫理観劣化」を懸念 赤ちゃんポストで有識者会議が検証報告書MSN産経ニュース

(前略)
 報告書は、障害児らの預け入れを踏まえ「ポストの存在が、顔の見える相談を忌避させている」と批判。ただ、慈恵病院が妊娠・出産にまつわる相談を多く受けてきた実績も含め「トータルでは、多くの生命がつながった」と評価した。

赤ちゃんポスト、2年半で51人 「国の母子支援必要」asahi.com

(前略)
 最終報告によると、約2年5カ月間で、生後1カ月未満の新生児43人、生後1カ月以上〜1年未満の乳児6人、生後1年以上〜小学校入学前の幼児2人が預けられ、病院側が想定した「年に1人あるかないか」を大きく上回った。


 51人のうち、39人は親の居住地が判明しており、九州・沖縄13人、関東11人、中部6人、近畿4人など。熊本県内はゼロだった。母親の年齢は20代が21人、30代が10人、10代が5人、40代が3人。
(中略)
 預けられた子どもの多くは乳児院や里親の家庭で暮らすが、7人は実の親らが思い直して引き取った。親が不明なままの13人は、熊本市が戸籍を作り名前をつけたという。


 検証会議は、「都道府県を超えた広域的な問題。国の関与が望まれる」とし、母子を保護するシェルターを各都道府県に1カ所程度整備し、出産や子育てに関する相談体制を充実させることが必要と提言している。
(中略)
 26日に記者会見した柏女座長は「『ゆりかご』がなければもっと悲惨になっていただろうという事例から、(妊娠・出産を)なかったことにしたいという倫理観の崩壊した事例まであった。国民全体の問題として検討する必要がある」と述べた。(岡田将平)