「造反議員」に対する「刺客」という表現

 こういう表現で「煽っている」メディアが多すぎます。この言葉を使ったところはこの選挙に関しては情報を疑ってみる(いえ、むしろ信じない)ことに決めました。


 政党は、基本的に政策を実現するための機能集団です。それは地縁・血縁の集団でもなければ、家族主義的集団でもありません。私自身は政党はドライに政策で集まって欲しいと願うものです。政党トップが判断した政策の重要点(ここではその当否は判断しません)が共有できなければ、説得によって政党内で多数になることを目指すか、それが不可能なら自ら政党を離れるのが筋ではないかと考えます。


 まして今回の選挙では、郵政民営化問題に対して賛成か反対かという選択を迫る選挙にしなくては、おそらく自民党に勝ち目はありません。だとすれば、小泉氏が自党を選挙で勝たせるために郵政民営化賛成の者だけで選挙に臨もうとするのは理の当然です。それは広報宣伝でもあり、選挙民に「民営化是か非か」が争点だという認識を持たせるために必要な戦術です。


 小泉氏がそういう勝負に打って出ていることを知ってか知らずか、個人的怨恨というか遺恨の筋で煽ろうとするメディアには軽蔑の念しかもてません。実際、造反議員と呼ばれるK氏などはローマの闘技場の処刑者(?)などに自分を喩えましたが、これは頭が悪いか錯乱しているか、いずれにせよ議員にふさわしい知性がないようにお見受けしました。


 何も殺すなどということは誰も言っていません。議員は選挙に落ちればただの人と言われますが、選挙民は何も候補者に特権を与えてやろうと思って投票するのではありません。特別な任務を与えるぐらいで私は考えています。ですから、その任に適さない人はもともとただの人でいるべきなのです。殺されたりはしません。普通の人に戻るだけなのです。この意味でも「刺客」という比喩を使う者は「煽り」に思えます。


 テレビ朝日スーパーチャンネルですか?それを見て思わず書きたくなりました。
 個人的には小泉氏は嫌いではありませんが、郵政を争点に考えていいものかどうか私はまだ判断しておりません。ただ民主党が「もっと大事なことがある」などという逃げを続けるようなら、私の選択肢から外れるのは確実です。そういう「楽な」ことをして勝てるなどとは思っていただきたくないです。


 小泉氏の戦術に乗らないようにするにしても、もっと説得的な戦略を考えなければ、多くの人がそっぽを向くと考えますし、できればそういうしっかりしたオトナの有権者が多数を占めて欲しいものです。

憲兵警察

 SAMURAI7を見ておりまして、ちょっと気になったのがサムライ狩りをする警邏隊(警察)の人数が少ないのではないかということでした。最初は円筒ロボットなども機動力として持っているのでそれなりかなとも思いましたが、カツシロウの刀で両断されるくらいの装甲でしたから、飛び道具をほとんど用いないあの警察力で「不逞のサムライ」たちを一方的に狩ったり鎮圧したりできるものかと、再び疑問に思ったのです。
 そこで思い出したのが以前に書いた悪名高き「憲兵警察の数」についての記事です。備忘として記しておきましょう。


 日本の朝鮮統治を語る場合、それを「類を見ないほどの悪政」として考える方々は、大抵「警察官(憲兵警察)」のことを持ち出します。実際の歴史的な政治・統治が完全な善悪二元論で捉えられるとは私は少しも思いませんし、エモーショナルにこの「憲兵警察」という怖いイメージが使われて「悪政」だったと決め付けられるのにささやかに反論いたしたいと思うのです。


 着目するのは「警察官(憲兵警察)の数」という量的データです。資料としましては、資料批判の水掛け論に落ち込みたくはありませんので、むしろ日本の朝鮮統治を悪であったとおっしゃる側の方の使われる資料をそのまま用いたいと思います。
 それでは、大阪産業大学人間環境学助教授(朝鮮近現代史)藤永壯氏の「朝鮮近代史の講義ノート」から(二次資料ではありますが)引かせていただきます。
 http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/kougi.htm
(※こちらのサイトを読めば、藤永氏は日本の朝鮮統治を正当化するなどという立場の対極でいらっしゃることが明らかだと思います)


 さて、大阪産大講義ノートの「1920年代の「文化政治」」を見ますと
「警察官の急増 1919:6,387名→1920:20,134名」とあります。
 この記述のすぐ下には「警察官署(警察署・駐在所・派出所)数 1919:736→1920:2,746」とあり、解説として「1918時点で2面に1カ所→1920「1面1カ所」「1府郡1警察署」確立」となっています。


 それでは計算してみましょう。1920年に「1面1カ所」で警察官署数が2,746なので、面数もほぼこれと同数とすると、1920年時点で単純に1面あたりの平均をとると…


 およそ 7.3人(一面=1行政区画毎の憲兵警察の平均人員数)1920年
 単純平均で、一市町村あたりこれだけだということです。これが「急増」した後の武断政治期の数です。


 では次に1919年(これは3.1独立運動の時点です)の面あたりの概数を考えましょう。1918年時点で2面に1カ所とされていますから、実数はこれより下がるものと考えられますが、とりあえず2面に一ヵ所配属される(2,746/2=1373ヵ所)と考えて計算すると


 およそ 4.6人 …1919年
 これが「三・一独立運動時の一市町村あたりの平均の憲兵警察人数です。


 そしてそのページの警察の記述の下、選挙有資格者のところをごらんください。「朝鮮人6,346名(1700万人中。0.037%)」とありますね。ここでは当時の朝鮮国民は総数でおよそ1700万人いたと推定されているのです。
 もちろん都市部と農村部では配置人員の多寡はあったでしょうし、首都の京城には人口比から言って当然多くの人員が配属されたと考えられます。ですが、この講義ノートで「格段に威圧的・法的手続を経ずに朝鮮人を逮捕・処罰」とされている憲兵警察ですが、武断政治時代とされている時期にその最大値2万名を以ってしたとしても、「全朝鮮国民的運動」が行われたとしたら治安が維持できるわけがありません。
 この推測に無理はあるでしょうか?つまり当時の人々はむしろ憲兵警察に協力的であったという推測が成り立つと思えるのですが…


付記:
 この大阪産大の「講義ノート」ですか? これもまた無批判に韓国側資料を鵜呑みにし、ご丁寧にそれを高校生の受験参考書(サブノートか?)風にまとめてありますが、ある面これは怖いです。つまり用意された歴史をそのまま学生が暗記しなければならないようになっていますから、先生に評価してもらいたければこれを覚えるしかないということになります。
 いるんでしょうね。丹念にこれを覚えてよい点を取るような学生が。でも私は大学生がそれでいいのか、と声を大にして言いたいと思います。

SAMURAI7を観る2

 また一日分遅れですが感想など…


 八話から十話まではオリジナルでしたね。この世界の仕組みの一端を見せ、意ならずもノブセリの言いなりになる農民の苦衷を見せ、そしてキュウゾウを仲間に加える。そういう話の展開でした。


 カンベエたちがマロから逃げるためにはシキモリビト(式守人?)のテリトリーを通る必要がありました。これはアニメオリジナル。シキモリビトたちはどうやらサイボーグ化した人間で、大戦当時のテクノロジーを所有している様子。彼らの「チクデントウ(蓄電塔)」がこの世界のエネルギー供給源となっているようで、商人たちもノブセリたちもシキモリビトと交易しなければならない設定です。
 そして、なぜ農民の「米」にノブセリが拘るのかもわかってきました。精米した米は、シキモリビトの食料となる植物の育成に必要だということらしいです。だから彼らとの交易には米が必要となるわけです。なにも主食を必要としただけではないというこの説明がなければ、ちょっとSFとしてどうかなと思うところでした。


 ここで出てきた新キャラの若い女性がホノカ。キララとその妹のコマチとあわせて、ああ新品種の稲シリーズと納得。お米に対するこだわりがなぜかこの作品に込められているようです…。


 どうしても原作と比べて見てしまう私ですが、オリジナルの展開だとやはりそれなりにカッコイイと評価するところも多くなります。ノブセリは円筒形ロボット(およそ2mぐらい。空中浮揚)だけでなく身長20メートル前後のロボット兵(というかこれがサイボーグ化した姿?)も使ってきますが、これに対してヒトが刀で対抗し、それを斬るところはわりに説得的な映像でアニメのカッコよさを味あわせてくれます。GONZOですし。
 また、カンベエの危機に寝返ってくれたキュウゾウの言葉、なぜ裏切ったかの問いに


 「(また)生きてみたくなった」


 これは良かったです。この世界のサムライの事情を間接的に語る言葉で、ちょっとだけしびれました。
 ノブセリはやっぱり悪者オンリーで描かれる様子。戦いのカタルシスのためにはこうでなければならないのでしょう。わかります。
 あと、ゴロベエはやはり色物と…


 十一話からは原作の筋に戻ります。カツシロウの最初のヒト斬りはちょっときれいすぎて迫力不足でしたが、キララのサービスにはびっくり。こちらではシノの扱いは低いようですね。そしてキクチヨの大演説はやはりというか良かったです。ここは胸にきます。最初のシナリオが良かったせいでしょうが、この声の役の人も悪くないと思えました。
 村の要塞化、一晩かそこらではそんなに作業が進むわけない…とは思いましたが、まあこれは敵役が高度に武装しているという設定ですからいたし方ないでしょう。さもなければすぐに蹂躙されますから。


 さりげなくキララに因果を含める?カンベエはどうかと思いますが、キララもわかっているみたいですね。カツシロウはむしろ年齢的、外見的にも原作の木村さんよりはまり役に見えるくらいです。


 さて十三話の終わりあたりから十四話にかけて、またオリジナルの展開です。ここらでノブセリとの決着がついてしまうわけはないんですが…。また原作に近い形にもどるにしても、あと1クールに近い回数が残っているみたいですしどう展開が続くのでしょう?
 面白く観させてもらっています。

百姓ってのはな、けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだぁ!!


でもな…百姓をそんなふうにしたのは誰だ?(菊千代)

○ ○
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○ ○
 △  ←この三角が菊千代さまだ!
 た


 そうそう、原作と一番違うところをいい忘れてました。原作では「百姓」たちの話が、SAMURAI7では「農民」の話になっていた…そういうポリティカル・コレクトネスは私はホントは嫌いですが。