成功した共産主義

 父が読んでいた文藝春秋特別版(8月臨時増刊号)『私が愛する日本』で、こういうインタビュー記事の一節がありました。

 日本の江戸時代と高度経済成長期は、本当にいい時代で、言わば「成功した共産主義」だったと思います。要は、一部の人が儲けるために多くの人を搾取するんじゃなくて、皆が幸せになるような構造のことで、ソ連や中国とは意味合いが違います。江戸時代は、完全に日本が自立できていたから鎖国を選ぶことができたんだと思います。高度成長期は、自分の肌で感じることができましたけど、国民皆の生活が飛躍的に上がってきても、社長と平社員の給料は五倍ぐらいの差しかなかったんですね。
 国は一部の人のものじゃなくて、皆の国でしょう。だから、皆が得するような政治が必要だし、会社の経営にしても同じです。一部の人しか得しないような経営は正しくないんじゃないかと思っています。僕は、「お客様にとっても働く者にとっても最高の会社」を企業理念に掲げていますが、これは松下幸之助土光敏夫本田宗一郎、立石一真出光佐三といった人たちが書いたものを読んで、その影響を受けているんです。本を読むのは大好きで、『論語』『武士道』、新井白石の『読史余論』などからも影響をうけましたね。

 「大特集 私は日本のここが好き!」という外国の方々が語る*152のインタビューのうち、これを語られたのは株式会社アシスト社長・評論家のビル・トッテン氏(1941生。滞日37年)です。


 まあトッテン氏は「アメリカは、その歴史上、最初から腐っていました」とか「日本はそんなアメリカの御用聞きになってしまっています」などと語られる反米?リベラルの方ですし、全く偏りのない視点ではないでしょうが、戦後のある時期までの日本を「いい社会主義」だとか「成功した共産主義」だとかおっしゃる議論は今までにも目にしたことはあります。


 他人様への配慮が社会教育の中で身につくようだったとか、国全体が豊かになろうとし豊かになれると信じていたとか、なにより経済のパイ全体が拡大傾向であったとか、いろいろな条件が重なって(もちろん負の面もあるわけですが)ノスタルジックに「良い時代」だったと語られるある時期が日本にあったということは確かでしょう。
 そして右も左もなく、現在の日本の社会・政治・経済などを批判する論調の中に、この「古き良き活気に満ちた公平な(?)」時代へのノスタルジーが結構紛れ込んでいるんじゃないかなというのが私の感想です。
 でもそれは、所与の条件が異なってしまった今となっては引き返すことのできない過去です。私たちはこの先に、それより良い未来を作っていかねばなりません。温故知新とは申せ、現在を貶すために過去を持ち出すのはほどほどにしたいものです。

*1:何人かは日本生まれ、何人かは日本に帰化していらっしゃいますが…。このトッテン氏も帰化申請中とのこと

韓国系カルト

 今現在入手している情報だけで一つの宗教をカルトと断ずることはできないと思いますが、それでも被害が言われニュースにあがってきたようではありますので、ワーニングとして触れておきます。教祖による性的暴行がささやかれ、カルトではないかと言われている「摂理」という韓国キリスト教系の新宗教があります。もし身近に当該教団の影がさしている方がおられたり、友人知人の口から肯定的にこの名前が出てくるようでしたら、かなり注意して情報収集にあたることをお勧めします。教祖はかつて統一協会のメンバーでもありました*1。そして統一協会原理研究会のみならず、キリスト教の教義を換骨奪胎して教祖の個人崇拝を言い、性的・金銭的に信者に負担を強いる新宗教は韓国に少なからず存在します(もちろん同様のものが日本にもないとは申しませんが、人口比から言ってもあちらの方が圧倒的に多いです)。


 S-tationというサイトがあります。ここは「摂理」の元信者さんで性的被害を訴える方々によって、他の方々が同じ轍を踏まぬようにと立ち上げられたサイトです。関心がおありの方は、他にもいろいろ探してどうぞご自分の目でご判断ください。


 一般論として申します。
 まず一つは、偽キリスト(メシアの再臨を騙るもの)はいつの時代にもいますし、聖書をしっかり読んだことがあればそれはいろいろなところで警告されていることに気付くはずということです。もしちゃんとお読みでなかったり、他人の導くに任せるだけであったならば、ご自分でただ読んでみるということをなさるようお勧めいたします。
 次に、半島キリスト教系カルトが日本に来て布教する時、かつての日本による朝鮮併合を「心の負い目」として意識させ追い込むケースが非常に多いということを知っておいてください。本当にそこに明確な責任があるのでしょうか? それは「原罪」でも何でもないことです。明らかな責任は、その人が避け得た行為にのみかかるものではないですか? 生れてもいない時の「責任」というものは詭弁の類ではないですか?
 最後に、信者としてカルト被害に逢われた方で真面目な方は、「自分も他者を勧誘していたので加害者になってしまった」と感じて被害の声も出さないことが往々にしてありますが、それは、これからさらなる被害者を出してしまう行為かもしれません。被害者顔して糾弾するのに躊躇う気持ちもわかりますが、小さくても声をあげるということが、これから一人でも二人でも被害を未然に防ぐことにつながるのですから。そしてそれはささやかながらも加害の償いにもなるのですから、どうか声をあげるのに躊躇わないでください。

追記

 朝日新聞に掲載された詳報がこちらのブログで紹介されています。

*1:テレビ朝日報道による