一生食うに困らない

 『やせれば美人』で、これはおもしろかったというよりどきっとしたところなのですが、筆者の知人の由子さんというダイエットのプロの人が登場して、この方は「もう、毎日がリバウンドよ!」で「物心ついた頃から、ずっとダイエットしている」という人なのですが、

四柱推命によると、私には"食神"という星が入っていたんです」
 由子さんが唐突に言った。
 ―どういう星なのですか?
「一生食べるには困らないということです」
 ―いいことじゃないですか?
「けど、"小太り" "肥満"の星でもあるんです。別に星を見なくても、私を見ればわかることですけどね…」
 笑いながら由子さんは私を見つめ、私を硬直させた。
 ―そんなことないですよ。
 弱々しく反論すると、
「もういいですって」
 由子さんは早く本題に入りたいようだ。察するに、彼女はダイエットしなければならない"運命"だと言いたいのである。

 これは本当にびっくりしました。
 「一生食べるに困らない」
 私もそう占いに言われたことがあったからです…


 占いっていっても占い師がどうこうじゃありません。高校の文化祭だったと思いますが「マイコン部」とかいった類のところで(当時はまだパソコンとは言われてません)三百円だったかとって、両サイドに穴の開いた用紙(一定間隔でミシン目も入っている)にカタカナ印字で「占いの結果」をプリントアウトする出店があったのです。
 もちろん三百円払ってやってもらったのでしたが、そこに確かに
「イッショウ タベルノニ コマルコトハ アリマセン」
 とかいう文言があったのです。あれは四柱推命だったのか…と思い出しています。
 どこかの雑誌にあったプログラムでもこつこつ入力して、あれは稼げていたと思いますよ。口当たりの良い言葉もまぶしてました。確か私は、調子の出ないときは洞窟に潜む虎のようで、調子づくと天に昇る龍のようであるともそこで言われていたはずです<言い過ぎ。


 食べるのに困らないんだったらいいじゃん。と、その時は思って、確かにその後食べるのには何故か困らなかったのですが、それは「富裕である」ということは決して意味しなかったようです。ぎりぎり低空飛行でも食べるのには困らないということか…と三十代のはじめに諦観しました(笑)
 でもそれより何より、なんと"小太り" "肥満"の星とな。
 かなりショックです。もしかしたら運命(と書いて「さだめ」と読む)と戦う秋が来たのかもしれない、と思ったのでした…

この頃読んだ本

 この一週間ぐらい、なかなかかたい本、いただいた本など読み進められずに逃避して、ちょこちょこすぐ読めそうな本なんか読み飛ばしていました。まあ読書の秋というところで。
 一番おもしろかったのが中公新書の『ジャガイモの世界史 歴史を動かした「貧者のパン」』(伊藤章治)です。小氷期のヨーロッパで、政変や革命の背景に飢饉があるというのには目から鱗の気分でもあります。1788年のフランスに飢饉がなかったら、あるいはジャガイモの普及がそれに間に合っていたら、あの大革命はなかったかもしれないというのはなかなかな見方でした。
 次におもしろかったのは新潮文庫の『やせれば美人』(高橋秀美)です。ところどころ肺腑をえぐるような「あるある体験(笑)」をしながら読んだのですが、とにかく笑いどころが多かった本です。でもノンフィクションと銘打って売って良かったのでしょうか?ここまでセキララだと離婚ものじゃないかと思いました。
 そして角川文庫の『うつうつひでお日記DX』(吾妻ひでお)。買おう買おうと思っているうちの文庫化で、少々得した気分でもあります。あの『失踪日記』前夜の話は興味深かったです。あと吾妻さんの評価で読んでみたいと思った本も少なからずあり、再読してリスト化してみようかと考えています。
 他にも一、二冊読みかけがありますが、結局逃避してばかりじゃなくて、チャレンジャブルに取りかからなければならない本もバベルになりかけてますので、なんとかせねばと…

方言の話

 二十年より前の話、住んでいたところの最寄り駅が下北沢とか世田谷代田だった頃、下北沢の南口の角店(たぶん今みずほ銀行のCDがあるあたり)に牛丼屋があって、そこに入って牛丼をお願いしたときに「おつゆもください」と言ったら「うちはおつゆは置いてないね」と店主が言いました。
 お味噌汁の意味で「おつゆ」と言ったのでしたが、それは方言であったということにその時に気づいたのです。ただその店主、「味噌仕立ては汁、醤油仕立てはつゆって言うんだ」的なことを得々と話し始めたので、まあ豆知識をもらったのはいいのですが少ししつこく感じて、それ以来一度もその店には入らなかったはずです。言い方もあろうとは思うのですが、自分も若かった所為か少し狭量だったなあと今なら。


 ちなみにその当時下北沢を「しもきた」とか略す人は(地元の人も含めて)いなかったはずです。かなり後になってそんなことを話す人がいたので「それってどこの半島?」とか突っ込んでみたことがありますが、糠に釘。今やそれが若い層には主流みたいで驚いています。
 あの時の店主と似たようなことを言っても、たぶん今は聞き流されてしまうんじゃないかなと感じますね。
 いい面と悪い面がある、ということです。