輪廻

 「後生が悪い」という言い方があります。これは生まれ変わり(輪廻転生)を前提にしている日本語の一つです。後生が悪い(悪く生まれ変わるような)ことをするなという言葉で、倫理が語られているのです。


 また「袖擦り合うも他生の縁」もそうですね。前生(ぜんしょう)−今生(こんじょう)−後生(ごしょう)という生まれ変わりの縁の中で人間が生きているという考え方が下にあります。


 因果応報というのも、もともとは死に変わり生まれ変わる輪廻の中で、悪因悪果・善因善果の生まれ変わりがあるから悪いことをしてはならないという倫理観を表す言葉です。悪いことをしてすぐに悪い報いを受けるという現報の考え方とともに、景戒の『日本国善悪現報霊異記』にはたくさんの仏教説話でこの考え方が述べられています。


 四足の獣の肉を食べるのが江戸時代にタブーとなっていたのも、先祖・父母・知人などが六道輪廻の中で畜生となっているかもしれない(だからそれを食べるのはやばい)、という考え方が支えていたところがあります。


 お葬式でいただく戒名は、戒律を受けた仏弟子としての名前です。戒名をいただくのも、お経を唱えてもらうのも、目的は亡くなった方を「成仏」させるためですから、建前としては上手くいけば皆輪廻から解脱して仏になっていると言えるかもしれません。さもなくば四十九日間「中有」をさまよった後、どこかに生まれ変わるのですから。


 ですが、死者をホトケと言うのはおそらく厳密には「成仏」したからというのではなく、人は死んで他界に行くという仏教伝来以前の日本の考え方に仏教から借りてきたことばをプラスして、亡くなった方を指す言い方としてあるのだと私は思います。
(ちなみに真宗などで言う南無阿弥陀仏と唱えて「浄土」に行けるという考えですが、弥陀仏のいる「西方浄土」へは輪廻・生まれ変わりで行くのです。浄土に生まれ変わって、そこで最終の修行をして解脱する。もともとはそういうところであって最終目的地ではありません。)


 仏教受容以来の日本にはやはり「輪廻転生」が一つの層として受け容れられていたように思われます。