虐待

 知り合いの先輩が某研究所に就職を決めました。その人は海外でチンパンジーの研究などをしていた人ですが、新しい勤め先は薬品の研究をしているところです。なんだか「薬品の治験のために霊長類を使う」ことを考えて採用になったと思えてしまいます。もしそうだとしたら本人はどう気持ちの整理をしているのでしょう。
 そんな想像を勝手にしていたらこちらがちょっとつらくなってきました。


 でも私自身は動物実験に極端に否定的ではありません。ピーター・シンガーなどに言わせれば「種主義者」であろうとも思います。愛わんこが実験に使われるのはもちろん、犬の知り合いがそういう状態になるのは我慢できなくても、頭の中でだけ想像できる人間以外の動物が人間のために(エゴでしょうがね)命をとられるのには手を合わせはしますが「已む無し」と思う方です。それができないならとっくにベジタリアンでしょう。


 種主義かどうかは別として、私は「人間のため」という大義名分で結構自分を納得させていると思います。それこそ『霊異記』など読んでるときにはなんとなく落ち着かなくなる気もするのですが…そういう意味ではどこまで仏教徒か…

 「言い訳」というか、何がしかの理屈・理由がつけば人間は大抵のことはできるものだなあと思います。もし自分にとって理不尽な攻撃を受ければ、おそらく私は反撃するのにためらいはないでしょう。
 そんなことを考えながら、ふと中国のデモのことを思い起こしてしまいました。


 おそらく彼らの「大義名分」は、彼らをイノセントにしているのでしょう。愛国無罪ですか…
 それでも理不尽な暴力行為を伴った彼らの行動は、暴動と呼ばれるべきだろうと思います。500グラムのカレーに小さじ一杯だけうんこを入れたとします。それはもうカレーと呼ぶに値しないものです。それは汚物です。
 私の中では、反日デモ(カレー)がすでに暴動(うんこ)になっています。デモの何割が初めからうんこを目指していたかはわかりませんが、もはや共感する気には正直なれません。それどころか、私にはここ一連の反日行動自体がどうにも忌避すべき犯罪、ヘイトクライムに思えるのです。