有責性

 JR西日本の悲惨な事故の最初のフェーズは終わったのでしょう。犠牲になった人たち(お悼みします)が確定されました。さて次のフェーズは、事故原因の究明とそれに伴う責任の所在の確定が中心となってくるものでしょう。


 会社の責任は免れ得ないものとは思いますが*1、かなりはじめの段階から各種メディアは、事故原因も藪の中で運転士の方の過失度合いなどもわからないままにむやみに彼らの責任を問うていたように思えました…。昨日の朝のテレ朝を見ていて、ああこの局はほとんど運転士を(犯人という言葉は使わないだけで)「犯人扱い」しているなという印象も受けました。


 被害者の方、家族の方がそれをやるならまだ同情の余地はあるのですが、なぜマスコミが糾弾者の役割まで果たそうとするのでしょう? メディアは私刑を行ってよいと思っているのでしょうかね。むやみに正義の側を気取るように感じられてしまいました。


 しかし責任の軽重はともかく、法人としてのJR西日本も亡くなられた運転士も一定の責任は負うでしょう。これが今になってテロであったなどということでもない限り…。それはいかなる過失があったにせよ、彼らが事故を起こさずに済んだ可能性があっただろうという推測によります。管理体制もしくは当時の行動が、事故の原因になり得たと見るからです。
 ですが、この事件によって一般のJR社員全てに責任を問うべきでしょうか?たとえばJR九州で昨日貨物列車を運転した人や、JR北海道で今日人事を担当している人や、JR東日本で明日常磐線の車掌をする人などに責任があるとすべきでしょうか?
 そこまではほとんどの人が考えないはずです。身内のこととして自分から責任を感じる人はおられるかもしれませんが、第三者がそれを押し付けようなどとは…。
 それは、彼らが尼崎の事故を起こすことも(防ぐことも)できなかっただろうと容易に理解できるからです。
 もちろん世の中は広いですから、「JRの体質改善に立ち上がらなかったという意味で少しは責任がある」などとおっしゃる方もでてくるかもしれません。ですがそこまでいう人がいるとしたら、ほとんど言いがかりに過ぎません。共感を広く呼ぶことはできないと信じます。


 責任は、当事者が、避けられれば避けられたあることを(自分の意志によって、もしくは過失によって)犯してしまった時に発生するのではないでしょうか?

犯罪者の家族は犯罪者か?

 もし自分が学生で、クラスに何らかの犯罪を犯した人物の子弟がいたとして、その人にどう対したらいいでしょう?もちろん最終的には相手次第、相性次第のところがあります。必ずしも仲良くできないかもしれませんし、それはそれで仕方がないこととは思います。
 でも一つ言えるのは、最初からその人を排除する方向で接する、もしくはいじめるなどということがあるのならば、私は気分が悪くなるということです。少なくとも私はそれは倫理的にすべきでないことと学習してきました。犯罪者の家族になるということに本人の責任は問えないからです。


 「罪」は絶対に遺伝する類のものではありません。それは少なくとも現代社会の常識なのではないかと…

日本人というだけで有責になるのか?

 つらつらと書いてきましたが、先の大戦のことと「日本人だから謝れ」みたいな問題を、上記有責性に照らして考えると、私の結論は自ずからはっきりしています*2

*1:事故が起き、100名以上の犠牲者を出した時点で止むを得ないでしょう

*2:書き続けて少々感情的になった気がしますので、まずはここまで